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広島YMCA
折り鶴に平和への願いをこめて
~「原爆の子の像」建立60周年記念式典~

             

いくつもの折り鶴を献納しました

■毎年実施している建立記念式典 広島市の平和公園内にある原爆の子の像は今年で建立60周年の記念の年を迎えましたが、毎年5月5日に広島YMCAと広島女学院大学で建立記念式典を行ってきました。
同時期に開催されているイベント、フラワーフェスティバルに合わせブースを設け、市民の皆さんや観光客など、訪れた人たちに呼びかけて鶴を折り、千羽鶴にして式典で献納します。


■ユース平和委員による平和への願い全国へ 今年、「北東アジア平和のためのYMCAユース平和委員会」の委員(以下、ユース平和委員)の呼びかけにより、建立記念日に合わせて全国YMCAで折り鶴を折って広島に届けるというプログラムが実施されました。また、5月3日~5日のフラワーフェスティバルには、ユース平和委員数名が中央大学YMCAメンバーを中心に広島に集い、YMCAの平和折り鶴ブースを手伝いながら全国YMCAから送られてきた折り鶴を千羽鶴にするなどの活動が行われました。

ブースではいろんな方と一緒に折り鶴を折りました

広島の地にたくさんの思いが集まりました

■「原爆の子の像」とは 原爆の子の像は、原爆による黒い雨によって被爆した佐々木禎子さんをモデルに建立されたものです。禎子さんは被爆して9年後の小学6年生の時に医師から白血病と診断され、中学校に通うことができませんでした。入院中、母親に教えられた「折り鶴に願いを込めて千羽折ればその願いは叶う」という話を信じて薬の包み紙などで鶴を折り続けていましたが、1955年10月25日に帰らぬ人となりました。
禎子さんの死後、当時同じ病気でたくさんの子ども達が亡くなっていく中、広島YMCA青年会員であった河本一郎氏が「禎子さんをはじめ原爆によって亡くなっていったすべての子ども達のためにみんなで慰霊碑をつくろう」と子ども達に呼びかけました。
その思いに応えるように、子ども達は原爆の子の像建立のための募金活動をはじめ、3年後全国へとこの活動が広がり、1958年5月5日、原爆の子の像が建立されました。慰霊碑には「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」という言葉が刻まれています。

■多くの平和への思いとともに 今回、全国22の都市YMCAと学生YMCAから、2万2千羽を超える折り鶴が届き、フラワーフェスティバル開催期間中に広島女学院大学の折り鶴ひろばで広島市民が折った約8千羽と合わせて献納することができました。その際には広島YMCA・広島女学院大学の代表、広島女学院大学折り鶴ひろば実行委員、ユース平和委員のメンバーなどが広島市民の思いや全国のYMCAの思いを折り鶴に込めて届けてくれました。
参加したユース平和委員からは「この記念すべき日に平和を願い、被爆地広島という場所で実際にさまざまな活動ができ、とても貴重な経験になりました」という声がありました。
今もなお、世界には戦争や紛争、あるいは貧困などによって苦しんでいる人びとが大勢います。「折り鶴」を折るという行為自体は小さなものかもしれませんが、こういった活動を通じて一人でも多くの人が本当の平和について考え、行動していくことが大きなムーブメントへと繋がっていくのではないかと思います。
この活動に関わってくださった全国YMCAの皆様に感謝申しあげます。

YMCAユース平和委員 石原侑実(広島YMCA)