機関誌THE YMCA
THE YMCAは日本YMCA同盟が発行している機関誌です

最新号のオピニオン:ペルーから移住 “外国にルーツのある子”として生きる
YMCAいずみ保育園(社会福祉法人横浜YMCA福祉会) 松井リリアン
私は13歳のとき、両親の仕事の都合でペルーから日本に移住しました。日本の中学校に入学しましたが、日本語が分からず、友だちもできなくて、不安でいっぱいでした。ペルーでは将来、弁護士になりたいと思っていたけれど、日本ではどう暮らすのかも分からなくて、夢も希望ももてなかったです。
学校では先生やボランティアの人たちが日本語を教えてくれて、少しずつ話せるようになりましたが、読み書きはなかなかできなくて、授業中は黒板の字をメモするふりをしていました。部活も大変でした。当時の部活はとても厳しくて、休むと不真面目と言われるし、指導の仕方も怖かった。文化が違い過ぎて、友だち関係も悪くなって、一年後に転校しました。日本語も、日本の社会も本当に難しいと思いました。
やっとのことで高校受験して、外国籍の生徒が多い高校に入学しました。そこの先生はとても親切で、今も交流が続いています。大学生のボランティアもサポートしてくれました。そこで進路の相談をしたとき、「保育士」という仕事を初めて知ったんです。ペルーには幼稚園はあるけれど保育園はないと言ったら、先生が「じゃ、保育園を見てみよう」と見学に連れて行ってくれて、保育ボランティアもさせてもらいました。たまたまそこにいたアルゼンチン出身の保育士が、「あなたなら保育士になれるよ」と言ってくれたんです。それで私は、弁護士とは違うけれども子どもの人権を守る仕事だと思って、保育士になろうと決めました。
保育の専門用語を覚えるのは大変でしたが、実習先の園でフィリピンの子が「先生と私、同じ肌の色だね。私、宇宙人じゃないよね」と喜んでくれたんですね。同じ思いをしている子がいる。そう思って頑張りました。資格をとった後もすぐには就職できなかったのですが、YMCAがアルバイトとして採用してくれて、その後この保育園の正職員になりました。それから18年。大勢の人に支えられて、今では後輩の指導をするほどになりました。
今は、私が来日した頃よりも外国にルーツのある子どもたちが増えています。彼らが希望をもって生きていくためには、日本語教育だけでないサポートが必要です。私の場合、親身になってくれた先生や、夢をもたせてくれた保育士、私を信用してくれたYMCA、一緒に遊んだ仲間たち。そんな出会いに育てられて、自分のルーツに自信をもつことができました。
保護者への支援も大切です。外国人の多くは、日本人の友だちがいません。だから困ったときに、どこに相談していいかも分からないんです。外国籍の家庭が多い当園では、子育てだけでなく、就職や通院、団地の入居申請などあらゆる相談が寄せられます。先日は卒園児の保護者から、「小学校の勉強についていけない」と相談がありました。母語と日本語の2カ国語で子育てすることもまた非常に難しいことです。気持ちをくみとって、ネットワークでサポートすることが必要です。
さらにその土台には、「多文化共生」の考え方が大事です。違いを認め合い、皆で一緒に生きていこうとしなければ、支援も成り立ちません。国が違えば、掃除の仕方、食事の仕方なども違います。「そんな掃除の仕方は汚い」「その食べ方はお行儀が悪い」と頭ごなしに否定してはうまくいきません。「常識」というのが外国人には一番わからない。丁寧なコミュニケーションが必要です。
保育園には障がいのある子もいます。家庭環境もさまざまです。自分にとって当たり前なことも、皆にとっては当たり前ではありません。そこをよく理解して、誰にとっても暮らしやすい、ユニバーサルデザインを目指 すことが大切だと思います。「支援する」と考えると負担が大きくなってしまいますから、誰もが生きやすい「多文化共生社会」を目指していければいいなと思います。 (聞き手・編集部)