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機関誌THE YMCA

THE YMCAは日本YMCA同盟が発行している機関誌です

<最新号のオピニオン>

「泣いている人」が「笑うようになる」ために
― 全国YMCA発達支援事業担当者会 基調講演より ―

   金 迅野(きむ・しんや) 立教大学大学院特任准教授/在日大韓基督教会横須賀教会牧師

 「学校に行けない子どもとその親を苦しめているのは『普通』という言葉ではないか」。NPO法人「フリースペースたまりば」の理事長・西野博之さんは、その近著「学校に行かない子どもが見ている世界」で言っています。「普通」にとらわれずにありのままを受け止め、その子にあった環境を整えるだけで、子どもは明るさを取り戻していくというのです。

 学校でも社会でも、私たちは知らぬうちに「普通」を前提にしていることがあります。そして「普通」を中心にすると、「例外」を排除するマインドが生まれます。健常者が普通だとすれば、障がい者は例外になります。学校に行くことが普通だとすれば、不登校は例外になります。「普通」という言葉には気をつけなければならないと思います。「普通の子」「われわれ〇〇人」といった枠の外で、孤立して苦しんでいる人がいると思うからです。「共に生きる」と言いながら、その範囲が狭くなってないでしょうか。YMCAに携わる私たちは常に振り返ってみなければならないと思います。

 もう一つ、「責任」という言葉にも深い注意をはらう必要があります。昨今、生きづらさを抱えている人が「自己責任」という言葉にしばられて、苦しんでいることがあります。しかしイタリアの社会学者アルベルト・メルッチは、「責任」には「応答する(responding to)」だけでなく、「引き受ける(responding for)」という側面があると指摘しています。社会の中で個人が何かを受け止め、他者や社会に応答すること。それが責任ですが、人生の歩みの中では、一人では背負いきれない困難に直面することもあります。そのとき、傍らにいる他者や社会の側がその人の困難を「引き受け」「応答する」ことも責任という言葉には含まれている。つまり、人の痛みや苦悩に触れた隣人や社会の側にも責任が発生していると。少なくとも私はそう思いたいですし、そういう責任を引き受けてこそ、YMCAらしい活動が生まれると思っています。

 同時に、苦しむ他者と出会い、共にもがきながら乗り越えていく中にこそ、本当の喜びや成長があるのではないでしょうか。現代は、自分の欲望を満たすことに終始し、その障害となるものを排除しようとする傾向があります。韓国では数年前に、「障がい児を産んだ親は損だ」と、医師に損害賠償請求する訴訟が起きました。日本で2016年に起きた、相模原障害者施設での殺傷事件とも通じる発想です。人間がまるでパソコンの性能のように、何ができるかというスペックで計測され、切り捨てられる。そこには苦しみを分かち合うような出会い、他者と紡ぐ本当の喜びが欠けています。それはまた、私たち自身の生きづらさも生み出しているのではないでしょうか。

 聖書に「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。」(ルカによる福音書6章21節)という言葉があります。これは、救いを約束するイエスのメッセージであり、キリスト教の根幹を表す言葉の一つです。キリスト教を基盤とするYMCAにとってもまた大切な言葉だと私は考えます。泣く人の傍らにいて、その痛みを受け止めて、アクションを起こす。泣いていた人が必ず笑うようになる、希望の約束が埋め込まれた社会を作り出すために、共に活動していく。これがYMCAのブランド価値だと思います。創始者ジョージ・ウイリアムズは、過酷な労働に疲れ切っていた青年たちに「幸い」が訪れることを願ってYMCA運動を始めました。これからもYMCAが社会の痛みを受け止め、疎外された人と関わり合い、希望を生み出す働きを広げ、深めていかれることを願っています。                        (まとめ・編集部)


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