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機関誌THE YMCA

THE YMCAは日本YMCA同盟が発行している機関誌です

 

<最新号のオピニオン> 「市民」運動体として ~過去・現在、未来におけるYMCAの役割
日本基督教団 秋田飯島教会牧師  中原 眞澄

 「戦後80年」今年、盛んに論じられたテーマですが、YMCAはどうだったでしょう。
 2500年ほど前、聖書の出エジプト記は40年を一世代としました。同じ体験をした人が社会を担って40年。彼らが人生を終えるのが倍の80年。10年前に亡くなった元ドイツ連邦大統領ヴァイツゼッカーが「荒れ野の40年」と題し、自国の戦争犯罪について、とりわけ直接体験のない世代が担う責任について、真摯に語ったのが40年前でした。その一節「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となります」は人々に感銘を与えました。私が気になるのは、閉じはせずとも<薄目>で見ているのが現代の日本ではないか、と。過去も現在も薄ボンヤリと見ている者が、未来を明らかに描くことはできないでしょうから。

 戦争をめぐる歴史理解には、被害と加害双方を見据え、失敗体験を吟味することが大切であることは、個人体験の反省と同様です。加えてYMCAの場合、活動を巡り、個別の文脈だけでなく、広い文脈から見ることが求められます。何故なら、例えば過去の植民地や占領地での活動が善意でなされたことは確かですが、その活動が相手社会にとって、とりわけ歴史的文脈から見て、プラスの結果をもたらしたとは限らないからです。

 YMCAはその最初期から人を「精神・知性・身体」さらに「社会性」を備えた全的存在として捉えました。こうした全的な個人がYMCA体験をとおしてより良き「市民社会」の造り手・担い手となることを願い、活動を展開してきたと言えます。学習やスポーツといった特定事業でも、YMCAとして意図する目標と評価は、他の領域すべてに関わって想定、設定することが期待されてきました。忘れてならないのは、目標と評価の焦点は常に「個人」に当てられ、その個人は、社会を担う主体であろうとする「市民」として期待されていたことです。
 別の視点から言うと、YMCAが願ってきたのは「市民」「個人」の育成であって、「国民」や「臣民」ではありませんでした。だから、ロンドンに誕生したYMCAは、イギリス国内に止まらず、瞬く間に全世界に拡がりました。YMCA運動では、国籍も人種も、言語、年齢や肌の色、やがて性別も宗教も、垣根となりませんでした。様々な属性で人を分断する「○○ファースト」から全く自由で平等な交わり(アソシエーション)でした。YMCAで起きていた出来事は、常に「隣人」としての出会いと交わりでした。

 いま世界は、グローバリゼーションと新自由主義が生んだ分断と憎悪の嵐の中にいます。「国家」が再びプレイヤーとして期待を集め、「帝国主義」さえ復権しています。国連が誕生して80年、国家間の戦争は終息と思われた時代は去り、「新しい戦前」が日本でもささやかれ始めました。国籍や人種、言語といった属性を無化し、「隣人」として誰とでも等しく手を携えるYMCAには冬の時代の到来と言えるでしょう。

 しかし、だからこそ YMCAは、過去をどう捉え、今と未来を描いていくか、実力を問われています。国家間の戦いと憎悪の過去によって、私たちの現在が決められてはなりません。むしろ私たち市民は国境を越えて主体的に未来を選びとり、その未来像を起点として現在をみつめ、過去を振り返る必要があります。
 YMCAが「市民」の運動として形成してきた信頼のネットワークを活かし、偏見と排除から自由な社会像(「神の国」)を描き、世界に提示していく使命が私たちにはあります。2千年前、ローマの圧倒的軍事支配の下でなお憎悪と暴力を排し、敵さえ愛されたイエス・キリストに従う者の運動として。


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