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機関誌THE YMCA

THE YMCAは日本YMCA同盟が発行している機関誌です

 

<座談会>防災を考える YMCAの復興支援活動を振り返って

 東日本大震災から15年。熊本地震から10年。阪神・淡路大震災からは31年が経ちました。「未曾有の大災害」からの月日を振り返り、各地で支援活動に奔走された方の中から4人にお話をうかがいました。

●清水弘一さん(仙台YMCA常議員/石巻広域ワイズメンズクラブ)

●丸目陽子さん(熊本YMCA職員/JVOAD運営委員)

●大野勉さん(神戸YMCA会員増強委員/神戸ポートワイズメンズクラブ)

●田口 努(日本YMCA同盟総主事)

  • ▼▼ 座談会「防災を考える―復興支援活動を振り返って」のテキスト全文はこちらから ▼▼


    • 「あの日」から
      ―まずはご自身の経験を聞かせてください。

      【清水】 東日本大震災の時、YMCAが支援に入った石巻市は、死者・行方不明者3800人余と、県内で最も被害が大きかった地域でした。私はYMCAの会員であり、ワイズメンズクラブのメンバーでもあったので、支援の受付窓口役となり、仙台の自宅から通って物資の調達や仕分けをしました。半壊だった自宅は、電気水道が復旧した後、支援者の宿泊所にもなりました。みんなで避難所を回り、仮設住宅ができてからは集会所を訪れて、歌の会、イチゴ農園の支援、餅つきなどを実施。復興団地ができてからは「津波教え石」の建立やヨガ教室なども行い、2016年には地元のメンバーと「石巻広域ワイズメンズクラブ」を立ち上げ、現在も活動を続けています。

      【丸目】 私は熊本地震の時、益城町総合運動公園で勤務していました。YMCAが指定管理者として運営している益城町の施設なのですが、地震後ここは避難所となって最大1200人を超える避難者を受け入れ、YMCAがその運営を担いました。その経験からさらに、2020年の豪雨災害の際も、県南部の球磨村の避難所運営を担うことになりました。以来私は、熊本県防災会議委員となるなど、防災に関する会議に出席し、さまざまな研修の講師などもしています。

      【大野】 私は阪神・淡路大震災が起きた当時、神戸市長田区の小学校で教員をしていました。自宅は無事でしたが、長田区は火災が激しく、学校は避難者であふれかえりました。その混乱の中で私たち教員は、全国からの救援物資やボランティアに支えられながら、避難所としての体制を整え、最大約1500人の避難者を受け入れました。この時の感謝の気持ちから私は今もなお、どこかで災害が起きると居てもたってもいられなくなり、各地でボランティア活動を続けています。12月には能登半島にも行きました。

      【田口】 私は50年前、仙台YMCAで学生ボランティアをしていた時、フィリピンのミンダナオ島地震のワークキャンプに参加したのが最初の支援活動でした。1978年の宮城沖地震では被災した子どもたちのキャンプに関わり、横浜YMCAの職員になってからも、阪神・淡路大震災、東日本大震災と、災害のたびに現地に駆けつけました。1997年には横須賀に災害ネットワークを立ち上げる動きにも関わったほか、総主事となってからはスタッフやボランティアの派遣、他団体および被災地との協働支援活動などに携わっています。

      被災地の今……

      【清水】 石巻は15年経って復興住宅も建ち、復興事業もほぼ終了して、街並みは整ってきました。でも人口は以前より2割弱減少し、さらに30年後には震災前の半分になると予測されています。産業も停滞したままですから、「復興した」と言われても複雑な気持ちです。何より、親しい人を亡くした方の悲しみや、コミュニティーを失った寂しさは、簡単になくなるものではありません。津波で多数の犠牲者を出した小学校、津波から逃げる途中で親の手を放してしまったという人。3人の子どもを亡くした親。トラウマをかかえたままの人も多い。今なお言葉にならない思いが、変わらずにあります。

      【丸目】 熊本でも同じです。避難所で暮らした方々は、やがて仮設住宅に移り、復興住宅の建設を待って引っ越すまでに最低でも5年から10年。本来の住まいではない場所に住みながら、生活の再建をしてきました。しかも復興住宅が建っても、住民が戻ってくるとは限らない。人も街も災害前には戻りません。みんな、故郷が変わっていく姿を複雑な思いで受け止めています。にもかかわらず時間の経過とともに「復興した」と忘れ去られてしまう。風化を心配する声があります。

      【田口】 私の実家がある福島県いわき市は、福島第一原発から30kmほどの場所なので、今も除染作業をしている人や、遺骨を探している人たちがいます。市内には原発で働く人や、帰還困難地域から避難している方など、さまざまな立場の人がいますから、住民同士で気持ちを共有することもできず、メンタルの病が増えていると聞いています。県外に避難したまま戻れない人も少なくありません。

      【大野】 31年経った神戸でも、やはり身近な人を亡くした悲しみは消えません。一方で震災を知らない世代が増え、どう継承するかも課題になっています。神戸YMCAは昨年、30周年を機に災害ワークショップを開催しましたが、被災者たちが痛みと共に残した教訓を無駄にしないよう、伝えていかねばなりません。

      【田口】 YMCAの研修等では、今も各被災地を訪問していますが、忘れずにつながっていかねばなりません。「忘災」にならないよう「防災」が必要です。

      心の復興とは
      ―なかなか癒えない心の傷に、私たちは何ができるでしょうか。

      【清水】 「心のケア」は、専門医だけに任せておくべきものではないと思います。私たちは石巻で、心に傷をかかえた多くの人たちと共に、歌の広場やお茶の会などをして声をかけあってきましたが、そうやって小さな楽しい時間を共有したり、何気ない日常会話をしたりすることが、心の復興には欠かせないことでした。とにかく誰も一人にしてはいけない。「忘れていませんよ。いつも一緒ですよ」と、メール一本、電話一本でもいいからつながっていくことが、前を向いて生きていくために非常に大切だと感じています。

      【大野】 私もそういう温かな心に支えられてきました。神戸の避難所で、支援団体の人たちと歌った「翼をください」に励まされたこともありましたし、お弁当の配布を手伝ってくれた小学生が「どうぞ」と声をかけながら手渡す姿に感激したこともありました。小さな温かさが、大きなエネルギーになりました。YMCAはレクリエーション指導などで、人を和ませたり、元気づけたりする力をもっています。小さなつながりでもいいので、長く継続して支援してほしいです。

      【丸目】 私は「支援者のケア」も必要だと思いました。避難所には、突然家を失ったり、家族を亡くしたりした方々が集まりますから、特に最初は穏やかではありません。運営スタッフは、やり場のない思いをぶつけられることも多く、心身の調子を崩すスタッフもいました。被災地では、支援する側もまた被災者です。自分も被災しながら運営している。そこを理解し、被災された方だけでなく、支援者の心のケアにも取り組む必要があると思います。

      【田口】 被災者‒支援者という区分を越えて共感しあい、一人ひとりの心を大切にすることが必要ですね。聖書には「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマの信徒への手紙12‒15)とありますが、それは災害時だけでなく、YMCAが日常の働きの中でめざすべき姿だと思います。

      これから
      ―今後も起きると言われる災害に対して、私たちはどう備えておくべきでしょうか。 《備えること》

      【丸目】 日ごろの備えは言うまでもないことです。個人・法人を問わず、ぜひこの機会に備蓄などの確認をしてほしい。また、災害時にどう行動するのか、事前に整理しておくことも必要です。

      【清水】 想定されるリスクをよくシミュレーションして、マニュアルを作っておいた方がいいです。

      【大野】 YMCAとワイズメンズクラブで共有できるマニュアルや互助体制の再確認をしておくことも有益だと思います。一地域のYMCAが機能できなくなった時にどうするか。どう協働していくか、一緒に検討しておきたいです。
      《調整役の必要と人材養成》

      【清水】 人材養成も必要だと思います。東日本大震災の時にYMCAのスタッフは、地域の社会福祉協議会などと調整してボランティアのコーディネートをしてくれました。また仙台YMCAは震災直後から約1カ月間、会館の一部を避難所として開放し、断水していた近隣の避難所にはプールの水を提供するなど、その時々で工夫しながら対応しました。その機動力、臨機応変な対応には感心しました。今後もそういう人材養成が必要です。

      【大野】 人材養成はたしかに大切です。神戸の避難所ではさまざまな支援物資をいただきましたが、YMCAのスタッフは事前にニーズを聴いて調整し、必要なものを必要なだけ届けてくれた。とてもありがたい配慮でした。

      【丸目】 YMCAが日ごろ行っているボランティアのコーディネートは、熊本地震の時にも役立ちました。初めて出会った人と協力して楽しく生活する、というキャンプのノウハウも、避難所で活かされました。  災害はそれぞれパターンも違うし、地域性も違いますから、過去の経験を活かしながらも、その場の状況やニーズを把握して調整していく。コーディネーターの力が重要になってきます。

      【田口】 熊本地震の時には、過去の災害支援に関わったスタッフたちが力を発揮しました。能登半島はYMCAのない地域でしたが、現地のボランティアの中にはYMCAの卒業生やキャンプ経験者の姿もあり、「蒔いた種が育っている」と実感しました。

      《支え合うネットワーク》

      【田口】 ネットワーク作りも大切です。特に阪神・淡路大震災の後、日ごろの団体間のつながりが必要だと、各地でネットワークができました。

      【丸目】 熊本でも、日ごろの顔の見える関係こそが、災害時に必要だということを実感しました。発災時にどういうニーズが生じるか。そして誰に何の協力を依頼したらいいのか。地域の事情や団体の得手不得手を知っていることで、初動がまったく違ってきます。  熊本地震の際は「くまもと災害ボランティア団体ネットワーク(KVOAD)」が設立され、活動団体の情報交換やコーディネートがなされました。今も熊本YMCAは各地域の自治会へ加入するなど、地域との交流をさらに活性化しようとしています。

      【清水】 石巻では震災後、外国人が増えてきたので、外国の方とのネットワーク作りを始めました。町内会の防災訓練やお祭りにも参加してもらっています。まだ十分とはいえませんが、地域の主要産業は、もはや外国人なしでは成り立ちませんから、共助の 防災対策も必要です。

      【丸目】 熊本でも、さまざまな国籍の方々のコミュニティーと協働して、地震の経験談を聴く会を開いたり、熊本県主導で外国人コミュニティーと支援団体との防災ネットワーク会議を開いたりするなど、動き始めています。YMCAには留学生をはじめ多くの外国の方が関わっているので参加しています。

      【田口】 最近「排外主義」が高まっていますが、災害時には、地域で支え合わなければ生きていけません。国籍によらず支え合わなければ、災害時は最悪の状態になります。関東大震災では、流言によって朝鮮人虐殺が起きました。今はSNS上で頻繁にデマが拡散されています。根拠のない不信感、偏見、差別にとらわれることなく、信頼関係を築いてお かなければ、災害に強い街とは言えません。

      【大野】 阪神・淡路大震災の時には、倒壊した建物から救助された人の7割が、民間人によって救助されたというデータがあります。消防士など「公助」が不足しますから、近くにいる人による「共助」が重要です。「公助」の強化の必要は言うまでもありませんが、国籍を越えた連携が必要です。

      《コミュニティー・ウェルビーイング》

      【田口】 災害時には、日常の課題が浮き彫りになります。地域には外国人だけでなく、障がいのある人、一人暮らしの高齢者、一人親世帯など、さまざまな“災害弱者”といわれる人がいます。どこにどんな課題を抱える人がいるか知っておくこと。日ごろからしっかりと向き合い、支え合う関係を築いていくこと。災害時にはその共生の力が試されるといっても過言ではありません。  今、世界のYMCAがめざす「Vision2030」には、「コミュニティー・ウェルビーイング」、つまり誰もが幸福なコミュニティーを作ることが、目標として掲げられています。YMCAは災害時によらず日々の働きの中で、地域の人とつながり、地域の課題に向き合い、一人ひとりが限りなく尊重される豊かなコミュニティーをめざしていかねばなりません。  そしてこの日常の働きこそが、災害時のネットワークとなり、復興の過程においても、前を向いて生きていく力になっていくのだと思います。


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