《OPINION》差別は 優しさだけではなくせない
▼平良愛香さん(日本キリスト教団川和教会牧師)
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私は幼稚園の頃から同性である男性が好きでしたが、それが皆に嫌われることだと知ったのは中学生の時でした。ふざけてじゃれあっている男子生徒たちに先生が「おまえらホモか。やめろ!」と注意したんです。皆が笑い、私も一緒に笑いながら、一生隠さねばと思いました。「お前ホモじゃないの?」「ちげーよ、んなわけないだろ」という会話は、ただの否定ではなく嫌悪感をぶつける否定です。それを聞きながら、皆に嫌われていると知りました。
当時の辞書には、同性愛は異常性欲と書かれていました。キリスト教でも同性愛は、神が創った秩序に逆らう罪とされていましたから、私は社会からも神様からも嫌われる欠陥品だ。死ぬしかないと思い詰めました。
幸い私には、カミングアウトを受け止めてくれた人がいて救われました。やがて同性愛は人権問題だと知り、神様にも嫌われていないと思うようになりました。それで私は牧師になり、孤立した同性愛者に「神様はあなたを排除しない。一人じゃないよ」とエールを送る活動を続けています。
性的マイノリティの問題は一人で抱え込みやすいのが特徴です。「私の周りに同性愛者はいない」と言う人がいますが、いないのではなくて、言えないのです。今はLGBTQという言葉も普及して理解も進みましたが、それでもカミングアウトは命がけです。差別や偏見にさらされるかもしれません。「彼女いる?」と聞いてくるなど、日頃から異性愛を前提とした言動の多い人には打ち明けられません。
セクシュアリティ(自分らしさとしての性)は個人差があります。生物学的な性(生まれた時に認定された性)だけではなく、性自認(ジェンダー・アイデンティティ)や、性的指向(セクシュアル・オリエンテーション)などがあり、そのバリエーションやグラデーションは実に多様です。トランスジェンダー女性(生まれた時に男性として認定されつつ、性自認が女性である人)だから男性が好きとも限りません。100人いれば100通り。抱える課題も人によって違います。
学校の先生からLGBTQの生徒への配慮について質問されることがあります。「修学旅行のお風呂や部屋は別にした方がいいですか」。私の答えは簡単です。「本人に聞いてみてください。人それぞれですから」。性的マイノリティでなくても、様々な事情で人に体を見られたくない人もいます。学校でも職場でも、相談しやすい場や担当者がいることを知らせて、個別に対応できるようにしてください。
幼児に教えるのは早すぎるという意見もありますが、私は違うと思います。
以前に勤めていた幼稚園に、おままごとの時ドレスを着たがる男の子がいました。私はいつも「ドレス、すてきだね」とほめました。そして「ヘンって言う子もいるかもしれないけど、僕はいいと思うよ」と繰り返し伝えました。小学生になって「おかしい」と言われたとしても、「愛香先生はいいと言った」と思い出してほしい、味方がいると覚えていてほしかったからです。それは周りの子どもたちがいる時に伝えました。加害者になってほしくないからです。子どもは柔軟です。異性愛やシスジェンダー(生まれた時に認定された性別と性自認がイコールの人)だけが正しいと刷り込まれないよう、被害者にも加害者にもならないように育てたいと思います。
差別は、優しさだけではなくせません。知識が必要です。それは性に限った問題ではありません。日本人と在日外国人、障がい者と健常者、「本土」と沖縄。私たちは、差別する側にもされる側にもなります。知らずに差別していることもたくさんあります。差別は完全にはなくせないかもしれない。けれども、私たちが学び、出会い、行動していくことで、差別を減らし続けることはできるのです。(まとめ・編集部)
《プロフィール》平良愛香さん
日本キリスト教団川和教会牧師。
1968年生まれ。日本で初めて男性同性愛者であることを公表した上で牧師となった。著書に『LGBTとキリスト教 20人のストーリー』(監修)ほか