![]() ホーリー・ローザリーカレッジの学生たちと「環境セミナー」を終わって |
![]() タラ村のホーリー・ローザリーカレッジの授業見学のあとで |
![]() ストリート・チルドレンの施設まで、このジプニーで移動 |
![]() タラ村の病院訪問、院長にハンセン病について伺う |
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1985年に始まったフィリピンキャンプが今回で16回目となりました。当初、豚小屋作りのワークキャンプでスタートしましたが、現地の状況の変化に伴い最近はお互いの社会状況理解をし、一緒に考えていくプログラムを中心に行っています。毎回、参加する若者たちはみな、フィリピンの青年たちと豊かな経験と感動を分かち合ってきます。その一端を昨年のキャンプ報告書からご紹介しましょう。 参加者 1.坂本(とちぎYMCA職員) 2.磯(フィリピン大学学生) 3.嶋田(看護学生)4.谷口(看護学生)5.斎藤(会社員) 6.川内(高校生) 7.野中(教員) 8.小林(高校生) 9.村橋(中学生)10.安島(高校生) 11.石井(フィリピン大学学生) byナツ 成田空港で初めて全員が顔を合わせていざ出発!! PK861便 PM15:00発 マニラにPM18:15到着 マニラからナーサリーはなんと5時間!! みんなかなりバテてしまった。 7月30日(日) ナーサリーで初朝食。パンのおいしさにみんなでビックリ!! 初めてHRC(ホーリー ローザリー カレッジ)のみんなに会う。ちょっと緊張したけどみんなの優しさにホッとした。ウェルカムパーティーでは、みんなの歌&ダンスに感動した。その後、モンチのグローバルセミナー。ゲームから始まったセミナーも内容はとてもまじめでいろいろ考えさせられた。この日から、みんなでタラの環境問題についての話し合いがスタート。 7月31日(月) 今日のミサは、スペシャルバージョンで2時間半!! その後、HRCの近くの病院を全員で訪問。モンチの歌声にみんなうっとり・・・ 午後は前日からの話し合いの続き。その後タラの人形工場へ。すべてが手づくりで、からくり人形もあってびっくりした。 患者さんのオタク訪問では、3人の方の家を全員で訪問。 8月1日(火) サンバレス州の旅に出発!! もちろんジプニーで。ピナツボ山へ行った。噴火からは10年近くもたつのに、そのあとはとても生々しかった。 ジャイレホームに行った後、この日はジムさんの家に全員で宿泊。せまかったけど色々な話がみんなとできて楽しかった。ね、ゆきこ先生? 8月2日(水) 午前中はオロンガポへ。施設を訪問、施設の方のお話をきく。夜はジャイレホームで天ぷらを披露!! その後、交流会では一生懸命練習したダンス(バターカップ)をみんなで踊った。子どもたちの歌にとても感動。 こうしてサンバレスの旅は終わった。 8月3日(木) 午前中に、サンバレスを出発。ジムさんには3日間、大変お世話になりました。マニラではレストランで初ハロハロ とっても大きくて甘かった・・・。 買いものは、、キアポへ。いろいろなお店があって楽しかった。 3日間、フィリピーノのみんなと旅ができてとってもいい思い出になった。 8月4日(金) 午前中はHRCの授業見学に。college, high-school, kindergartenに別れてそれぞれ行きたい授業へ。さあ、午後からワーク開始!! 話し合いの結果、ゴミひろいを行うことに。学校の前に公園のまわりをきれいにすることに。草刈り機をもつイレネオの姿にホレた人はいるはず? 夕方から、ホームステイ開始 ナツ:メーアン ゆーじろう:エリクソン ゆきこ:レイヤ ぐっち:エフレン ゆか:アグネス ちえこ先生&よしふみ:アビ まゆ:パム まさじ:ジョエル けいこ:イレネオ この日の夜はエリックとふみえさんが、みんなの家を訪問。私もついていったけど、けっこう歩いたかなぁ・・。 8月5日(土) この日も朝からワークの続き。フィリピンのあつさはかなりキツかった・・・。 ミリエンダ(休けい)の時に、いきなりバスケがはじまった。イレネオ、ジョエル、なつ、ゆきこ、ゆーじろう、よしふみでで対決!! イレネオとジョエルのうまさに感動 午後は平和セミナー。2人の方からお話を聞いた。2人の戦争の体験にとても考えさせられた。その後は、再びホームステイ先へ。ちょうどパムのおねいちゃんのbirthdayだったので、みんなでパーティーにおよばれ。ごちそうとゲームでとっても楽しい夜だった。 8月6日(日) 午前中もワークの続き。午後はSM(シューマート)班とマーケット班に別れて買い物に。ところが、SM班が帰りの時間を2時間も遅刻・・・。 心配してたゆかちゃんが、みんなが帰った時あまりの心配に泣いてしまった。ゴメンネ、ゆかちゃん。 8月7日(月) ワークの最終日、そしてみんなと過ごす最後の日。私たちがきれいにした所は、次に私たちが来る時には、どうなっているのか・・・。 午後はパーティーの準備。そして夜はパーティー。リリアとセイリアが作ってくれた、とってもおいしいごちそう。フィリピーノはダンス、歌、感想、日本人はまとめの感想、歌(つばさをください、いとしのエリー)、そして感想を発表した。 全員で? バターカップを踊った! "farewell"(フェアウェル)の意味は「さよなら」ではなく、「元気で」という意味だとモンチは言っていたけど、みんなと別れるのはとてもとても悲しかった。 みんな、また会おうね!! 8月8日(火) 朝3時にタラを出発。2時間ちょっとでマニラに到着した。空港まで送ってくれたモンチ、エリクソン、パム、ふみえさん、けいこさんと最後のお別れ。空港で待っている時、本当に帰ってしまうのだなぁと改めて実感していた。 PK860 AM8:30出発 ・PM14:00ごろ成田に到着 みんな、おつかれさまでした & ありがとうございました!! 谷口由佳(ぐっち) 初めてのパスポート、初めてのフライト、初めての外国の土、私にとって、全てが初めての体験でした。 初めてタラのキャンパーに会った時、そう、彼らはとても素敵なダンスで迎えてくれました。最初は、英語の話せない私だったので、心配でした。けれど、いつも笑顔で英語のできない私にも、いろんなことを話したいという気持ちを表してくれていたので、私もうれしくて、単語と身ぶりで、がんばりました。 数日後には、フィリピン人、日本人ということをほとんど意識しなくなり、そんな状態がとてもうれしかったです。「なんだ、同じ人間じゃない。」一緒に歌を歌ったり、恋の話が大好きだったり、共に涙を流して、今こんなことを感じているんだな、と共感したり。それが国際交流の第一歩なんだと、今改めて考えることができます。 タラのキャンパーと主に活動していて、もちろん、違う価値観や感じ方が数多くありました。自分と違った考え方を知るのはとてもおもしろいです。それをお互いに理解し、認め合うことが、結局思いやりであり、共に暮らしていく上で最も大切なことなのだと思います。 私はそういう違った角度からの価値観が知りたくて、今回のキャンプに参加しました。今小さかった私の視野が少しだけ広がったように思います。フィリピンと日本のそういう関わり方を目的としたこのキャンプは本当に素敵で、有意義なものですね。 そして、やっぱり、タラ村の居心地は最高でした。みんな人なつっこくて、優しい人ばかりでした。料金をタダにしてくれたおっちゃん、マーケットで花をくれた男の子、ゴミ拾いを手伝ってくれたハンセン病のおじさん。私たちを許し、日本との戦争の話をしてくれた方。彼らの見せる笑顔の強さに涙が止まりませんでした。 そして、何より、共に11日間をすごしたタラのキャンパーと友達になれたことが一番うれしいです。みんな強烈な個性をもっていてすごく楽しいんです。また会いたい!! 日本とは全く異なったひたすら充実した11日間でした。 今回、強く考えさせられた今、私たちは何をすべきなのか。まず人と関わり、気持ちを知ること、共に向上していける関係を築きそのためにはどうすれば良いのか考え実行すること。その思考力と行動力。 今後、タラとの関係のなかで、具体的にどうしたら良いか、みんなと、また自分なりに考えたいと思います。本当に、このような機会をいただいたこと、感謝しています。また、タラ村に行きたいよー。みんなに会いたいよー。 小林繭子 日本に帰ってきた直後は、日本のいやなところ(物を大切に扱わないところ、人と人との薄っぺらい関係、お金に目がくらんだ大人達・・・etc.)がすごく目について矛盾を感じて、それがものすごくいやだった。生活が変わらなかった私は、もしかしたら何も得ていなかったのかとショックで、その気持ちをキャンパーの一人にメールで打ち明けた。すると彼女は、こう返事をくれた。 “まゆは、自分の生活が変わらなければ何も得てないことなのかなって悩んでるみたいだけど、私はそんなこと絶対ないと思う。日本に帰って、今まで普通に日本で暮らしていた時には感じなかった矛盾やもやもやした気持ちを感じているっていうことは、まゆがこのキャンプから何かを感じているっていうことは、まゆがこのキャンプから何かを感じとって、自分の中で何か変化が起きたっていうことなんじゃないかなあ。” そう言えば、私はフィリピンに行く前、安全な日本の安全な家の中で寝っころがってテレビで難民の人々や苦しい生活をしている外国の人々の映像などを見ても、“大変だなあ、かわいそうだな”とは思っても、今の自分の恵まれた状況に何の疑問も持たなかった。しかし、日本に帰ってきてからは、そういう映像などを見るとまず“なんで私はこんなに快適な暮らしをして、学校に行ったり遊んだり、何不自由なく生活しているんだろう・・”と罪悪感を抱くようになっていた。 いったん便利な生活を手にすると、私たちはなかなかくらしの水準を下げることができないものだ。何十年もかけて確立したくらしを変えるのはそう簡単にできないことなのはしようがないことでもあると思う。もちろん自分の生活をすてて、過酷な環境で誰かのために生きていけたら素晴らしいことだけど、今までの生活のままでも、世界にはもっと苦しい生活をしている人がたくさんいて、私たちのこの生活はその人達の犠牲の上に成り立つものだということをいつも心にかけて、その上で“自分に今できることは何か”を考える様になれば、きっとこの世界は少しは変わると思った。そうして、私は今“自分にできる何か”を必死に探している途中である。 とまじめに考えたりもするが、やっぱりそれよりももっと毎日毎日考えてしまうのは、フィリピンのこと、そして友達のことだ。 フィリピンでできた友達はこの夏の、いや私の人生の大きなプレゼントだった。 たった10日間で英語の得意じゃない私がこんなにも大切に思える友人を得ることができるなんて夢にも思わなかった。 今まで「外国」の一つでしかなかったフィリピンが、今ではニュースで“フィリピン”と聞く時など、PamやJoel達の国として見ていて、いろいろなキャンプの思い出を思い出すようになっていた。 もっともっと英語を勉強して、他の社会問題から日本の文化などまで、いろんなことを知って考えて、次にフィリピンに行く時は、彼らともっと多くのもっと深い話をしたい。 このキャンプに参加できてよかった。 本当によかった。 患者さん宅の訪問の巻・・・ 村橋由香 まず1つ目のお宅・・・ 平屋のお家でおばあさん(72位?)とおじいさんの2人暮らしでした。子供はTalaを出て行ってしまったようでした。その時はたまたまおじいさんはTalaのメインロードで魚の薫製を売りに行っている時間でお会いできませんでした。でも、おばあさんが自分の病気についてや子供やおじいさんのことを話して下さいました。 日本から持って行ったチョコレートのお菓子を何個か渡していました。とても笑顔がcuteなおばあさんでした。Thank you. 2つめのお宅・・・ お菓子やドリンクを売っている小さなお店を営んでいる、おじさん2人にお話をうかがいました。お庭にはニワトリや犬がいてとても賑やかでした。奥さんはマーケットへdinnerのお買い物に行っていてお会いできませんでした。(この時間帯<5:00〜6:00>の間は外に出ている人が多いのカナ?) あまりお話しすることがなく、すぐ次へ移動したような・・・? でも対応がいい丁寧なおじさんでした。 Thank you. ここでもチョコレートのお菓子を渡していました。 3つ目のお宅・・・ なんて言葉で表したらいいか、生活が苦しいおばあさんの独り暮らしのお家でした。 1991年にご主人を病気で亡くし、ご主人との間には子どもに恵まれなかったようで、近所に住んでいる友達もおらず独りで細々と暮らしているようでした。それに、おばあさんは病気で両手が無く、料理をする時などに使うお水をくむときにもそこらへんにいる人にお金を払って汲んでもらっているようです。お金がない時には水も飲むことができないと言っていました。私たちが訪れた時には「ひさしぶりに人が来てくれた。」と喜びのあまり泣いていました。 私にとってはすごく複雑な思いがありました。他のメンバーも複雑な心境だったようでした。チョコレートを渡しました。(日本の女の子たちで) 〜〜訪問して思ったこと〜 帰国してからずいぶん時が経っているのに、こんなんに沢山のレポートが書けるほど記憶していることに驚きました。訪問した日のスケジュールは病院に行って→訪問という形だったのですが、病院の環境にびっくりしました。ヤモリはいるし、Bedは汚れているところもありました。日本の病院がいかにキレイで管理が整っているて病気を治すのに整いすぎだと思って、Talaの病院へ行ってみたらやはりそうでした。Talaだけじゃなく、Philippinesの中にも、Asiaの中にもあるんですよね・・・。 それに私は衝撃を受けました・・・。 “日本はもっと他の国に目を向けるべきなんじゃ” って。難しい壁にぶっつかりました。 |
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