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コラム「コンパス」 〜YMCAプログラムの羅針盤〜

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「コンパス」は、YMCAのさまざまな活動や事業の底に流れる願いや思いをお伝えするコラムです。


“自分が好きでいられる社会”へ (2006年3月)
「共存」? 「同化」? それとも「共生」?
(2006年1・2月)
秋のクリスマスプレゼント
(2005年12月)
働く喜びを伝える
(2005年10月)
信頼と尊敬から育まれるもの(2005年9月)
一人ひとりの名を呼んで (2005年6月)
地域と企業のかけはしとして  〜熊本フィランソロピー協会が10周年を迎えました〜(2005年4月)
マツケンと十次(2005年3月)
「市民社会を担う若者を育てよう」(2005年1月)
「神戸の恋歌」から10年  〜あれから留学生の学習環境は〜(2004年12月)
育みの循環(2004年11月)
「夏の想い出」(2004年10月)
遅咲きのボランティア (2004年9月)
「平和を創り出す力」 (2004年7月)
人は振る舞いで区別される  〜元オーストラリア兵捕虜から教えられること〜 (2004年6月)
平和・安全は「周りを見る」ことから(2004年5月)
会員の参画と地域に根ざすYMCAコミュニティー (2004年4月)
一人ひとりが中心 〜 YMCAの福祉関連事業 〜(2004年3月)
日本人の国際性 (2004年1月)
全人教育としてのYMCAキャンプ(2003年10月)
異文化の若者に寄り添う 〜YMCAの日本語学校〜 (2003年9月)
援助する学校 〜YMCAの専門学校〜 (2003年7月)
(機関紙『The YMCA』に連載中。文章中の肩書きは、執筆当時のものです)


■“自分が好きでいられる社会”へ

 ワークキャンプで訪れたフィリピン・ケソン州、少数民族アエタの住むトンコ村。自給自足の貧しさを象徴するかのように、村の犬たちは痩せこけていた。けれども不思議なことに子どもたちの目は輝き、明るい笑顔が村中にあった。家族は助け合い、高齢者は尊敬され、病気の人も、障がいをもつ人も、子どもたちも、村長を中心とす
る大人たちによって守られ安心して暮らしていた。フィリピン政府の支援も届かない貧しい村に、分かち合い支え合う温かで大らかなコミュニティーがあった。
  2週間の村人との共同作業で、日本から彼らの自立支援のために出向いた私たちのほうが、実は物質的な豊かさの陰に心貧しく大切なものを置き忘れてきたことを教えられたのであった。
  「自分を好きになってほしい」。さまざまな困難を抱える我が子の様子を丁寧に記した、YMCAサポートプログラム申込書の最後に書かれていた保護者の言葉だ。軽度発達障がいの子どもと家族の心の叫びを、あらためて私たちは知った。特に目に見える障がいと異なり、感覚の障がいであったりするために、周囲の理解がない場合、“物事に熱心に取り組めない”“わざと違うことをする問題のある子”と誤解され、怠慢を問われたりする現状。そういう無理解に子どもたちは傷つき、自信をなくし、希望や意欲ももてなくなっている事実。ふと、この子どもたちがトンコ村にいたなら、あるいはもっと幸せかもしれないという思いがよぎった。人びとが生活するコミュニティーのなかで、障がいを感じることなく、自分を大切に生きている、“自分が好き”でいられる社会。“真の福祉社会”は、政策や施設や措置によるものではなく、共に生きる私たちが困難ややりにくさを理解し、お互いに認め、尊敬し、自立を願う“心”でつくられるものだと教えられた。さまざまなプログラムをとおして、そういう心をYMCAでは大切に育てようとしている。
(埼玉YMCA総主事  くわ原 道子)


■「共存」? 「同化」? それとも「共生」?

  2005年10月末から11月にフランスで移民の若者を中心とした暴動が起こり、その波紋は他の国にも広がって、ヨーロッパにおける移民政策の行き詰まりと報道されました。フランスのように受け入れ国の価値観に従うことを求める「同化主義」と、イギリスのように民族や宗教に沿った独自のコミュニティーを認める「共存主義」に大別され、「同化」は摩擦を起こしやすく、「共存」は放任につながると解説がありましたが、各々移民問題は国家の重要課題になっています。
  翻って日本では、「内なる国際化」が叫ばれて久しく、移民や難民の受け入れも難しく、異文化や民族を交えた社会を具体的にイメージできかねています。まして「同化主義」などと言うと、台湾や朝鮮半島で実行された戦時中の忌まわしい政策が蘇ってきて、耳にするだけでアレルギーを起こしかねません。
  私の住む兵庫県では、地域の子どもたちが多様な文化的背景をもつ外国人の子どもたちと豊かに共生できるように「子ども多文化共生センター」が設立され、地道な活動が続けられています。そこでは、共生に向けた教育や支援の活動が行われ、たとえば在日韓国・朝鮮人の子どもたちが本名を自然に名乗り、自国の文化を学べる活動、また、日本語指導だけでなく母語学習の支援も行い、共生と同時にアイデンティティー堅持への働きかけがなされています。
  私も神戸YMCAの日本語学校で、月1回日本事情を話す機会を与えられ、日本の文化や社会を留学生に語りながら、彼らの文化や習慣を学んでいます。相互に学びつつ、理解しあおうとする意志の方向に「共生」の有りようが示されるのではないかと思うからです。この2月にはワイズメンズクラブ西日本区メネット事業として「留学生スピーチコンテスト」が開催されます。このような試みをとおして、グローバルな時代に、しかし、自らのアイデンティティーをしっかりもった人びとによる共生社会が生み出されるのではないでしょうか。
(神戸YMCA総主事 水野 雄二)


■秋のクリスマスプレゼント

 阿蘇キャンプは1952年、北米YMCAからの世界青年復興資金をもとに、建設地の阿蘇、ならびに全国YMCAの協力により生まれました。今日までの熊本YMCAの発展は、阿蘇キャンプが広く地域の人びとに与えたその精神的・霊的エネルギーに依ると言っても過言ではありません。
  熊本YMCA創立50周年(1998年)記念事業として、新しい木造のメインホールと宿泊室が、会員・職員の支えにより1999年7月に完成しました。そのバリアフリーの木造建築は、環境や建築に関する県内外の各賞を受け、未来へ残すべき優れた財産であるとの認定も受けています。
  さて、メインホール建設時には予想されなかったことですが、その吹き抜けホールの音響がことのほか優れていることが分かり、次第にチェロなどの弦楽演奏会や音楽研修会に使われるようになりました。この10月に第5回を迎えた「阿蘇生涯音楽の集い」もその一つです。東京や横浜などの関東や九州の福岡などから、バイオリン・チェロ歴は3年と少し、フルートは1年、ピアノ教師でもピアニカは初心者といった方など、20代から60代までの皆さんと熊本の音楽好き仲間が合流して、約30人のアマチュア音楽グループが、2泊3日毎年阿蘇で過ごしています。楽器演奏しなくとも、歌や手拍子で、応援団で、楽器運搬係でも参加可能な、懐の深い何でもありの集いです。事前に配布された楽譜をもとに、バッハのメヌエットやフニクリフナクラ、ビートルズのオブラディオブラダなどを仕上げます。もちろん思い切り自然やファイヤーを楽しむなど、素敵なキャンプ生活も送ります。毎回参加者のほぼ3分の2がリピーターで、中には4回目という方も少なくありません。音楽仲間との交流、子どもたちとの交流、阿蘇の大自然との出合いをとおして、参加者一人ひとりに神様がいのちを下さっていることを実感する感動深い集いです。少し早めのクリスマスプレゼントをいただくような喜びの時です。                  
(熊本YMCA総主事 小山哲夫)


■働く喜びを伝える

文部科学省の学校基本調査によると、2005年3月に大学を卒業した6人に1人、数にして9万8000人が進学も就職もしていません。数字には希望職種に就くために努力していたり、家事の手伝いをする人も含まれており、この現象を一括りに論じることはできませんが、就職、求職活動をしない若者が増えているのも確かなようです。
進路発達理論の著名な提唱者であるD・E・スーパーは、クリーブランドYMCAの主事補として、担当した雇用失業問題の体験をもとに『職業生活の心理学』を著しました。彼はその本の中で、人が働く意味について3つの仮説をあげています。
第一の仮説は「生計を立てるために人は働く」のです。この仮説だけで十分だと言う識者も多いですし、世界には「その日のいのちを保つためだけに働く」10数億の人たちがいるのも現実です。
第二は「所属する組織や社会に認められるために働く」というものです。人は他人から認められた時、また働きに応じて公平に評価される時、そしてその結果として職業上の地位や社会的地位を与えられる時に、ある種の欲求を満足できるからです。
第三は「労働そのものから得られる喜びのために働く」。仕事は自己表現の機会であり、自己実現につながるものです。そして、自己表現の機会が一番与えられるのは、自分の仕事が自分の興味・能力・欲求に合っているときでしょう。また、自分の適性、学んできた技能や知識を活用する機会が多ければ、いっそうその仕事に興味をもち、よりその仕事に活動的になっていきます。
YMCAは専門学校をはじめ、さまざまなかたちで青少年の職業教育にかかわっています。知識や技術・資格の修得だけでなく、働くことの意味や、働くことの喜びを大切にする青年たちを育てていきたいと思います。     
(広島YMCA総主事 下坊和幸)



■信頼と尊敬から育まれるもの

 「本当に助かりました。洪水に見舞われた時、この井戸が近隣の3つの村に住む700人の命をつないだのです」―浄化槽すら充分備わっていないフィリピン・アンチパンゴル村地域では、洪水になると生活用水(飲み水)がなくなります。村の中心に建設された井戸は、コンクリートで4メートル四方の足場に屋根をつけ、鉄製の手動ポンプが一つ。洪水の時は地上2mのポンプの頭だけが顔を出し、ボートで水を運んだと村人は語りました。
このポンプは、一昨年の「埼玉・フィリピン国際ボランティアワークキャンプ」で、14人の日本人キャンパーが村の小学校に宿泊しながら、パンガシナンYMCAリーダー(大学の奨学生)や村人と共に600メートル離れた村一番の井戸からパイプをつないで建設。埼玉Yと姉妹YMCAであるパンガシナンYとの協働による地域自立支援活動です。村人約150人のために建設しましたが、後の視察でさらに大勢の人びとが利用していることがわかりました。
自ら働いたお金で参加した日本の若者たちは、フィリピンの人びとと一緒に汗を流すことで、自国を思い、貧しい中から努力によって大学に通う青年たちの真剣な生き方、日本からの村への協力を自らのことのように感謝して労働を惜しまない誠実な姿に、多くを学びます。識字率の大変に低い村にあって、しかし素晴らしい人間性をもつ村人たちの、暖かく支えあう家族、貧しくても輝く瞳の子どもたちに触れ、自分の方が、物の豊かさによってかえって心貧しい生き方をしていたことに気づきます。2週間のキャンプ終了時には、互いに友情以上の尊敬と信頼が築かれ、支援から見放されていた村人たちにも希望と勇気が生まれているのです。
100人以上の村人、現地Yリーダー、パンガシナンY国際委員会、地域自治体をも巻き込むこのワークキャンプは、小さな働きではあるけれども、語学を学び文化の違いを知ることに留まらない、その先にある、国を超えた平和な共生社会を目指すYMCAの願いを実りに変える、優れたプログラムとなっています。
(埼玉YMCA総主事 繻エ道子)




■「一人ひとりの名を呼んで」

ひとりひとりの なをよんで 
あいしてくださる イェスさま 
どんなにちいさなわたしでも
おぼえてくださるイェスさま
ひとりひとりを あいされて
      うれしいときにはよろこびを
かなしいときにはなぐさめを
      あたえてくださるイェスさま
幼児讃美歌U「ひとりひとりのなをよんで」(キリスト教保育連盟発行)

これは、YMCA幼稚園の子どもたちがよく歌う讃美歌です。子どもたちにかかわる私たちの姿勢がはっきりと表されています。
「〇〇ちゃん、おはようございます」「〇〇先生、おはようございます」毎朝YMCA幼稚園に登園してきた子どもたちと先生が交わす挨拶です。ゆったりとしたやりとりの中で、子どもたちのしぐさや表情を見つめ、今日の身体や心の状態を推し測ります。そして、先生たちは心の中で「〇〇ちゃん、今日もあなたに神様の平和がきますように」と子どもたちに語りかけています。この語りかけている様子は、誰にも見ることはできません。しかし、真実は、見えないところにこそ存在します。子どもたちが幼稚園から家に帰る時の挨拶を交わす時も同じことが起こります。目には見えない真実が子どもたちと私たちにわずかずつながらも日々積み上げられ、いのちが共に育まれていることを確信します。
これは単なる幼稚園での日常の一コマではなく、YMCAの活動全てに通じるキリスト教教育や福祉の実践そのものです。「あなたはとっておきの一人です。かけがえのない人です。」という思いを表すことが「名前をよんで挨拶をする」ことであり、この行いが一人ひとりの存在を支えます。そして、目にすることはできず、ひっそりと、しかしとっても大切なあなたのために祈っていることが『YMCA』の存在根拠です。
「共に」という言葉が、それぞれのYMCAミッションステートメントの中に最も多く使われています。YMCAで何度も何度も繰り返される人の関わりは、「共に」というものが表現されたものです。その行いとして、「ひとりひとりの名を呼びあいつつ、神さまの平和を」お祈りします。

(大阪YMCA総主事 錦織一郎) 






■地域と企業のかけはしとして  〜熊本フィランソロピー協会が10周年を迎えました〜

熊本ゼロックスのKさんと熊本日日新聞のHさんの姿が、廊下の窓越しに見えます。毎月YMCAで行なわれるフィランソロピー協会幹事会の打ち合わせ中です。昨日は、古切手の入ったビニール袋を抱えて、肥後銀行のM子さんがYMCAの階段を上がってくるのに出くわしました。
熊本の主だった企業50社が参加するYMCAフィランソロピー協会が発足し10周年を迎えます。企業のみなさんのYMCAへの出入りが、もう自然な風景となっています。毎年6月には、児童福祉施設の子ども達を阿蘇のデイキャンプへ招待する資金集めのチャリティーボーリング大会が開かれます。全レーンを貸しきって150名近い企業の皆さんがプレイする光景は圧巻です。「仕事帰りのわずかな時間でボランティアができて嬉しい」「今日は残業せず大手を振って定時退社ですから」と本音も交えた喜びの声が参加社員の方から聞こえます。
10年前、地域企業の社会貢献にYMCAが何か協力できないかと考え、YMCA会員、ワイズメンのなかで企業にお勤めの方にご意見いただく会を持ちました。企業がボランティア活動を行うことは、「日頃触れる機会の少ないボランティアの世界から新鮮な情報がもらえる。地域との関係が深まり企業サポーターが増えるのではないか。社員が自分の会社に誇りを持つのでは。」など、ボランティア現場と企業を仲介する協会発足への期待と励ましを頂きました。この期待と励まし、そして内外の企業ボランティア活動の例を携えYMCA専門学校生の実習先、就職先をはじめ地元企業を訪問しました。「それは面白そうだ」と約40社が主旨に賛同し協会が発足しました。「フィランソロピーだけでなく、YMCAをつければ活動イメージが分かるから」とのありがたいご提案も会員企業からいただきました。
YMCA会員、ワイズメンズクラブ、専門学校関係企業・施設、地域ボランティア団体など、YMCAに集う人びとの新たなネットワークでつくられたのがYMCAフィランソロピー協会です。今のYMCAの宝をボランティアというキーワードで貫いた時、新しい地域との協働が生まれました。

 (熊本YMCA総主事 小山哲夫)
*フィランソロピー(philanthropy)ギリシャ語の「人間愛」と言う言葉で、企業の社会貢献を表す言葉として使われています。







■マツケンと十次

少し時期はずれの話題で恐縮ですが、40%の視聴率を切ったNHK紅白歌合戦の中で、瞬間最大視聴率を取ったのがマツケンこと松平健さんでした。私たちの世代には、松平健と言えば「暴れん坊将軍」でしたが、いまや「サンバの健さま」になってしまいました。私たちのYMCAにもチャリティランからワイズ例会まで、どこででもマツケンサンバを披露する輩がいて、このシーズンは大いに楽しませてもらいました。
その松平健さんが主役を演じている「石井のおとうさん ありがとう」という映画(現代ぷろだくしょん製作)が話題になっています。明治から大正初めにかけ、孤児救済に生涯を捧げた石井十次の物語です。倉敷の大原美術館を創設した大原孫三郎に大きな影響を与え、日本の児童福祉の父とも言われる十次ですが、福祉分野で働いている一部の人たちや地元の岡山を除きあまり知られていません。十次が開いた岡山孤児院には、もっとも多いとき1200人もの孤児がおり、それを私費と寄付だけでまかなったというのですから、私たちの想像を超えたスケールの大きな社会事業家です。キリスト者として伝道に熱心だった十次は、岡山大学YMCAの設立に際しても孤児院の土地を提供するなどして積極的に関わっています。
このほど、試写のため広島YMCAを訪れた製作総指揮・監督の山田火砂子さんは、十次のあまりの知名度の低さを嘆いておられましたが、今回、マツケン人気のお陰でこの映画がクローズアップされ、十次の生き方にスポットが当たるのであれば素晴らしいことだと思います。監督の願いは、「親のない孤児よりも、もっと不幸なのは心の迷子、精神の孤児なのです」という十次のメッセージを現代に伝えることにあります。
映像が社会に大きな影響を与えることを「冬ソナ」はあらためて証明しました。岡山YMCAが製作に協力し、日本YMCA同盟推薦のこの映画を、石井十次を知らない多くの人に見てもらえるよう、私たちも協力しましょう。

(広島YMCA総主事 下坊和幸)






「市民社会を担う若者を育てよう」

 私は1977年に提出した主事論文*「日本YMCA少年事業史」の中で戦前戦後の少年事業の流れを追ううちに、YMCAが人を育てるときの最大の注目ポイントが「個の確立」であったことに気がつきました。しかし残念ながら当時の集団主義的傾向の強かった日本の社会状況ではあまりに先進過ぎて、十分な成果を上げることが出来ませんでした。例えばその方法論としてのグループワークにおいては個よりもグループに力点が置かれ、個が二次的になってしまうというような具合です。1970年代に入ると、少年事業もそれまでの10代を対象にする活動から小学生低学年や幼児を主たる対象とする活動に変わるなど低年齢化し、「個の確立」が目的としてはふさわしくない状況と化しました。
 時代は下り、今や日本でもボランティアやNPOが脚光を浴びるようになるほどに「個の確立」が進んできました。「個の確立」は市民社会を確立する上で最低必要条件です。市民社会とは個人の思いがまず大切にされ、それを実現するための手段が確保される社会です。もちろんそれに伴う責任は自らが負わなければなりませんが。このような市民社会を確立するために、YMCAでは再び10代から20代の若者に目を向け、彼らの成長を願って、彼ら自らが企画し参加する機会をふんだんに設けようと意図しているところです。
先のシンガポールで開催されたアジア太平洋YMCA大会では30名ほどの若者が参加し、積極的に大会運営にも参画し、高い評価を得ました。若者は自ら主体的に参画することによって成長する機会を得るものです。YMCAの伝統的手法を今に生かすことによって、「個の確立」を現実のものとし、こうした若者の成長を通して、すぐそこまで来ている市民社会の担い手を育てたいものです。日本のYMCA125年の夢を託して。

(岡山YMCA総主事 米良重徳)
*YMCA主事資格を得るための審査に提出する論文





■「神戸の恋歌」から10年  〜あれから留学生の学習環境は〜

阪神淡路大震災からまもなく10年を迎えます。6,433名の尊い生命が失われた中で、15名の外国人留学生が犠牲になりました。神戸YMCAの留学生であった李仲基さんは当時新婚で、韓国からたまたま訪ねてきた新妻と神戸の安アパートで「その時」を迎えました。留学生の多くは安い木造アパートに暮らしていたのです。二人は柱の下敷きになり、李さんは25時間後に救出されましたが、残念ながら彼の新妻は逝ってしまいました。韓国では「神戸の恋歌」と報じられました。
震災後、外国人が多く住む多文化共生の街・神戸であっても、特に留学生にとってはつらく厳しい環境でした。木造アパートの多くは損壊し、住居に困窮しました。日本語の問題から適切な情報が得られず、充分なサービスを受けることができませんでした。そして、アルバイト先も失い、特に就学生と呼ばれる日本語学校生には公的援助もほとんど与えられませんでした。あれから10年、学生の学習環境はどのように改善されたでしょうか。
この12月にまた「出入国管理法」が厳格に改正されます。たとえば、不法残留した場合の罰金30万円が300万円に、無許可資格外活動の罪は罰金20万円が200万円に引き上げられます。もとより治安を守り犯罪者を排除することは賛同しますが、極端な厳格化は逆に「犯罪者」を生んでしまうことを危惧します。多文化共生社会が叫ばれ、その方向に向かわざるを得ない中、異文化に優しくない日本の姿を垣間見る気がします。
あれから10年。学生の経済状況も多少豊かになり、社会システムとして整備が進んだ事項もあります。しかし、アジアからの留学生にとっては、まだまだ物価の高い日本での生活は困難を伴います。神戸YMCAでは、毎年「越冬大作戦」と称して、暖房器具や毛布などの寝具を集め、留学生に配布する活動が続いています。多くのボランティアが支えるYMCAならではの「人に優しい」支援が今さらに必要ではないでしょうか。

(神戸YMCA総主事  水野雄二)





■育みの循環


1971年8月下旬の10日間、私は「YMCAリーダーキャラバン」というプログラムでリーダー仲間と共に返還前の沖縄を訪ねました。その年の6月、日本とアメリカの間で沖縄返還協定が調印され、翌1972年には沖縄の施政権が返還され、沖縄県が発足することが決っていた時のことです。
私たちボランティアリーダーは、子どもたちの夏期水泳教室やキャンプ等のプログラムを終え、自分たち自身のために企画したリーダーキャラバンを実施しました。プログラムの費用は、個人負担とワイズメンズクラブとYMCAの補助によって、参加を容易にするような配慮がなされていました。出費を少なくするために片道36時間を要する船旅、ユースホステルやキリスト教会などでの宿泊、沖縄での移動交通手段はほとんどがヒッチハイクでまかなうというものでした。右側通行する左ハンドルの日本車、ひめゆりの塔、アメリカ軍基地と周辺の生活、米兵相手に商売する沖縄の女性等、戦争の深い傷あとと戦争が続いている状況を目の当たりにしました。出発前に、「何故沖縄に行くのか」「日本であって日本でない意味は」「我々はどのような行いをするのか」等を仲間と議論を交わし、新しい体験への期待を膨らませていましたが、ヒッチハイクに当たり前のように応じてくれる沖縄人の心意気に触れ、沖縄の子どもたちとキャンプファイヤーを楽しみ、コバルトブルーの海で遊び、アメリカ人しか入れないバーで追い返され、米ドルで生活するということは、私たちにとって初めての挑戦的な他文化体験となりました。この沖縄体験は一過性の楽しいものではなく、私たち自身の生き方とYMCAでの活動を問い続ける原動力になりました。
青年の感性に、歴史、平和、戦争を「意識させ、体験させる」こと、そのフィールドに返還直前の沖縄を選び、時間とお金を費やして行かせ、リーダーを「信じ、任せ、待つ」というところにYMCAの「人を育む」基本姿勢があると、かつてリーダーだった私は感じました。この大きな力を感じたリーダーが子どもたちに関わっているからこそ、単なるプログラム指導ではなく、野外や体育活動が共に生きる社会を形成するための営みとなるのです。ボランティアリーダーを育むことは、そのようなリーダーに育まれた子どもたちが成長してまた子どもたちを育むという「育みの循環」を創り出し、継承することでもあります。YMCAは、人を育む力が、その大きさが決定的に違うのです。

(大阪YMCA総主事 錦織一郎)




「夏の想い出」

暑い盛りのさる7月末、夏期YMCAプログラム開始直前、ある会員の方から。「保護者が仕事などで忙しく、夏休みに家族一緒に出かけることが難しい子どもたちにとって、夏の想い出の一つは、小学校などの『夏休みプ−ル開放』です」とのお話を聞きました。特に、プールの監視員として働く若いアルバイト生に出会うことが子どもたちにとって大きな喜びとのことでした。これを聞いた時、YMCAがその出会いの宝庫であり、そのことを私たちは心底気がついているのだろうかと思い、次のメッセージをスタッフやリーダーのみなさんと分かち合いました。

子どもたちの「素晴らしい夏の想い出」は、このような時に生まれます。
・私たちから、いつでも、どこでも挨拶され、優しく声をかけられる時に、
・私たちから、「お友だちに声をかけようね」、「手伝ってね」と誘われる時に
・私たちから、「よく挨拶できたね」、「良いお手伝いができたね」と声を掛けられる時に、
・私たちから、「上手だったよ」、「かっこいいよ」、「素晴らしいね」と言われる時に、
・初めてYMCAへ来た子どもたちが、私たちから、満面の笑顔で歓迎される時に、

・・・このようなYMCAのリーダー・スタッフの私たちに出会うとき、こどもたちの心に嬉しかったという思いが「夏の想い出」として刻まれるのです。

これは、けして夏だけでなくいつでも、子どもたちだけでなく、YMCAに集うすべての人へ向けられるものだとあらためて気づきました。そして、YMCAに集うすべての人が互いに関心を持って、声を掛け合うことで、YMCAコミュニティーが生まれるのだと強く思いました。

(熊本YMCA総主事 小山 哲夫)





■遅咲きのボランティア

 2000年4月に介護保険制度がはじまり4年が過ぎました。この間、介護保険の利用者は、在宅と施設を合わせて約300万人となり、当初から比べると2倍以上の利用者となっています。こうした中、現在、社会保障審議会において介護保険制度の見直し議論が進んでいるところです。
 今回の見直しでは、介護保険制度の基本理念である「自立支援」を柱として、特に「介護予防」への取り組みが推進されることになります。急速に進む日本社会の高齢化は、国民の医療費や介護保険費の負担を増大させており、ここから派生する問題に取り組むことは緊急の課題となっているからです。YMCAは、約10年前からAOA(Active Older Adult)プログラムや転倒予防プログラムを実践し、高齢者の健康づくりに具体的な効果をあげています。
 さて、私ごとで恐縮ですが、今年94歳になる父がいます。80歳を過ぎてからボランティア活動に目覚め、最近まで高齢者
の介護ボランティアをしていました。今でも一日に2時間は散歩を欠かさず、自分の身の回りのことは自分でする生活を送っています。そんな父が、2年前雪が積もった我が家の階段を踏み外し、転倒して臀部を骨折しました。病院の先生は、高齢なので良くて車椅子、もしかしたら寝たきりになるかも知れないと言われましたが、本人のリハビリ意欲は旺盛で40日経つか経たないうちに退院しました。最初こそ杖をついていましたが、それも半年で不要でした。
 私たちは、ついつい人を年齢という先入観で見てしまいがちですが、父に限らず一人ひとり本当にさまざまです。元気なお年寄りもたくさんおられます。「その人らしさ」を大切にしながら、一人ひとりを見つめた介護予防プログラムを実践したいものです。

(広島YMCA総主事 下坊和幸)






■「平和を創り出す力」

世界を見れば武力による占領、内戦、自爆テロ、貧困など、国内を見れば地域社会の崩壊、増加する中高年の自殺、複雑化する青少年問題、高齢化社会への対応などさまざまな問題が顕在化している現代にあって、YMCAの果たす役割はますます大きくなっています。YMCAは「人を育てる」ことを使命として立てられた団体ですが、どんな人を育てるかと一言で言うならば私は「平和を創り出す力」を持った人と表現できるのではないかと考えています。
平和を創り出す力は他者を理解する力と言い換えることができると考えます。他者との協働作業やグループワーク、異文化理解体験などさまざまな人と接する機会が多ければ多いほど他者を理解する力が大きくなると信じます。
YMCAは0歳から100歳まであるいはそれ以上の年齢のすべての人びとにさまざまな出会いの場を提供しています。
他者を理解する力はコミュニケーション力と言い換えることもできます。コミュニケーションの基本はまず聴くことです。他者の存在に心を傾けることです。YMCAが力を入れている英語教育では聞く・話す・読む・書くの4領域の力をつけることだと説明していますが、まずは聞くことがいかに大切かということが実証されています。特に子どもの場合しっかりと聞くことのできる生徒は必ずといっていいほど他の領域においても成果を出しています。
聖書研究において「和解」という言葉は元々のギリシャ語においては「入れ替える」という意味があると聞きました。自分と他者の立場をいつでも入れ替えることのできる柔らかい感性は平和を創り出す力の源です。聖書ではそのことがしっかりと語られています。聖書にその精神的基盤を置くYMCA活動が平和を創り出す人々を育てることはYMCAが神様から託された使命です。

(岡山YMCA総主事 米良重徳)






■人は振る舞いで区別される  〜元オーストラリア兵捕虜から教えられること〜

先日、「夏は再びやって来る」という新刊本を頂戴しました。著者はジョン・レインという元オーストラリア兵で、戦時中、神戸に強制連行された元捕虜の手記でした。彼は太平洋戦争勃発時にシンガポールで捕虜となり、日本へ移送された後、終戦まで3年半を神戸の収容所で過ごしました。私のよく知らなかった歴史です。地獄船で送られて来た彼らの収容所生活は日本語教育から始まります。「いち、にー、さん…」それから「気を付け」「休め」「右へならえ」、つまり整列のための日本語です。そして、軍需産業での労働。粗悪な食糧事情に厳しい作業で命を落とす仲間もいる中、彼は生き延びていくのですが、やがて米軍による空襲開始。神戸YMCA会館もそれで全焼しますが、彼らの収容所も全焼するのです。そして、終戦。彼はついに生還しました。
この本の中で収容所生活への嫌悪、日本軍や日本兵への憎悪や非難はあるものの、日本や日本人に対する恨みや憎しみを私は感じることがありませんでした。なぜ?
そのヒントは、豪政府の兵士訓示にありました。「その国の文化や制度に対して、人種的優越感をちらつかせず、軽蔑する態度で自分の国と比較するな。」そして、タイトルにこのような言葉が添えられています。「人は間違いなく、振る舞いによって区別されるものだ」。この基本的な意識と態度を身につけて外国の地に向かったレインさんは捕虜という形での駐留ではありましたが、他国の文化への尊敬心をお持ちではなかったかと思うのです。
翻って日本軍の兵士は一般的にどうであったかは歴史がよく物語っています。「人は間違いなく、振る舞いによって区別されるものだ。」ということ。私たちが推進するキャラクターディベロップメントのRespect(尊敬心)にこんなところで出会いました。戦争でも「利用」された日本語教育、今は「平和」のために使いたいものです。 

(神戸YMCA 総主事  水野雄二)






■ 平和・安全は「周りを見る」ことから


YMCAでスポーツプログラムに参加している子どもたちは、夏休みに一カ所に集結し、全国大会や地区大会に臨みます。ある全国YMCAサッカー大会でのことです。一つのチームを引率・指導していたスタッフは、子どもたちに対して、「サッカーのゲームで一番大切にすることはどんなことでしょうか」と質問しました。小学生も高学年になるといろいろな答えが返ってきます。「チームワーク」「パスの正確さ」「シュートを打つこと」「スピードを出して走りまわる」などなど。スタッフは一つ一つの答えに「そのことも大事だ」「必要なことです」とうなずき受け容れながら、最後に「僕はみんなに『周りを見る』ことを一番大切にしてほしい」と子どもたちに伝えました。
「周りを見る」ことは、YMCAのユーススポーツプログラムのゴールです。YMCAでは、子どもたちが一定のスポーツに関する技術を習得すること、体力を養成することと同時に、自分の周りで起こっていることや起ころうとしていることに気づき、予測し、想像的に考え、自発的で創造的な動きを表現していく力を身につけてほしいと願っています。そして、子どもたち自身が一員である社会生活にあって、自分と自分の周りにある環境(ゲームメイト、友だち、家庭、学校、地域、自然、地球)との相互関係を見つめ、行動し、変化し、その環境の中で自分に求められる必要な技能と知恵を身につけていこうとする気持を培っているのです。時として、私たち大人は、効率的に子どもたちの技術や学力や体力を向上させることに目を奪われ、合理的に点をとらせることを考えてしまいます。私たちYMCAは、プログラムを通して技術や学力を習得してもらいたいのですが、このことだけを単純に目的にしているのではなく、子どもたちが「周りが見える、周りを見る」行動を身につけ、自分と自分の周りが安全で平和な状況を生み出していく力を育みたいのです。即ち、このようなプログラムの展開は、安全教育、平和教育、環境教育であり、YMCAの使命を体現しているものです。
付け足して、この大会では「周りを見る」ことを大切にしたチームが優勝を果たしました。

(大阪YMCA総主事 錦織一郎)






■会員の参画と地域に根ざすYMCAコミュニティー

熊本YMCAの「高齢化する団塊の世代委員会」は、団塊とその周辺世代のポリシーボランティアを中心としたメンバーから成る委員会です。
20歳から60歳までの40年間、1日10時間働き、l年に265日を過ごすと104,000時間。60歳から80歳までの20年間、 自分の時間として1日14時間を過ごし、1年365日とすると102,200時間となり、ほぼ現役と同じ時間数。ですから60歳は余生の始まりではなく、人生の折り返し点なのです。
委員会では、私たちの人生後半をさらに豊かに生きるために、人生でやりたいこと、私の強みは何かを発見し、さらに強化する「YMCA人生デザイン教室」等のプログラム開発をしようと意気が上がっています。もちろん収支合い整う自立したプログラムを目指しています。ひとりのYMCA会員の成長をYMCA運動のさまざまな場面に繋ぐことを提案するこの委員会の方向性は、生涯教育の連鎖を表すものです。そして、ボランティアメンバーが中心の委員がプログラム開発を担うこの委員会は、「これからのYMCAプログラムを占う」委員会であるとも言えます。
YMCAアソシエーションの特徴は、こうしたYMCAボランティアの存在です。特権を持たず望まず、YMCAの使命に共感する志にだけ支えられたボランティアは、ことの是非に率直に意見し行動できます。委員会、常議員会、理事会などのポリシーボランティアと職員のイコールパートナーシップのもとに自由な論議があってこそ、はじめて地域に必要とされるYMCAでありつづけられるのです。YMCAはボランタリーな働きに支えられた草創期を経て、ともすれば職員主導になりがちな運営の時代を経験してきました。今はまた、ボランティアとスタッフが協働して率直に語り合ってYMCA運営を確立する時期に入っていると言えるでしょう。

(熊本YMCA総主事 小山哲夫)






■一人ひとりが中心 〜 YMCAの福祉関連事業 〜

一冊の本を知人からいただいた。『対話−外山 義 魂の器をもとめて−』と題された本で、1年前に52歳という若さで急逝された建築家の外山 義先生の追悼集である。先生は東北大学や京都大学で教鞭をとりながら、全国を駆け巡り、居住者本位の福祉施設実現に向け、我が国の高齢者福祉政策に大きな影響を与えた人であった。彼の理念は、グループホームの創設、特別養護老人ホームのユニットケア・個室対応という形で全国の高齢者福祉現場で実現しつつある。
外山先生が広島に講演で来られた際、二度ほどお会いする機会を得た。先生は、岡山蕃山町教会の牧師の長男として生まれ、東北大学YMCA渓水寮の出身ということもあり、YMCAの福祉事業に対しても率直な思いを語っていただいた。「YMCAのCの部分が弱い。」「お年寄りと子どもが一緒に過ごせる空間を作れると良いのでは。」など的確で明快、貴重なアドバイスであった。
この話しにも関連するが、最近、私たちが行っている福山のデイサービスセンターでとても心温まる話しを聞いた。デイサービスをご利用されているお年寄りと、幼児総合のプログラムに参加している子どもたちが触れ合う機会があった。その時、リューマチのせいで指が不自由になっているお年寄りのところに、2歳の子どもが寄ってきて、そっとその手を握ったとのこと。そのお年寄りは本当に感動されたそうである。
現在、日本のYMCAは、さまざまな福祉分野の事業活動に取り組んでいる。高齢者・障がい者の生活支援、チャイルド・ケア、LDサポートなど活動対象も多岐にわたっている。外山先生は建築家の視点から高齢者福祉を考え、一人ひとりの人間が中心の「器づくり」を通して、イエス・キリストの精神を体現されようとした。私たちも、会員組織であることの特徴を生かし、お年寄りと子ども、障がい者と健常者など、さまざまな人が交わることができる「場づくり」を通して、地域から求められる福祉事業活動を実践していきたい。

(広島YMCA総主事 下坊和幸)





■日本人の国際性

 私はこれまでシンガポールに2年、香港に半年住んだり、いくつかの国際会議を経験する中で、国際的なメンタリティーにおいて、私たち日本人が、同じような顔・姿・形をした中国人や韓国人にかなわないと感じたことが度々ありました。シンガポールも香港も国際的な影響を強く受けやすい環境にあるので、人々の国際的関心が高いということに理解は及びます。また、ある韓国通の方が言っておられましたが、海外で国際体験をされた韓国人が帰国するとその影響が回りの人々に伝わる土壌が韓国にはあるとのことです。翻って日本のことを考えれば、同一民族が圧倒的な割合を占め、日本語という同一言語を話し、しかも島国であるという特殊事情があって、その影響がかなりあるのでしょうが、これだけ海外生活を体験する人が増えても、日本に帰ってくるとそのまま日本社会に埋没してしまう傾向が強いのはいかがなものでしょうか。かなり意図的な国際理解教育が必要とされるゆえんです。
 YMCAは100年以上にわたって、英語教育を通して国際理解教育を実践してきました。英語によるコミュニケーション能力を高めることはもちろんのことですが、それと同時に多様性と違いを受け容れる心を大切にした教育を目指しています(YMCA語学教育ミッションステートメントより)。そもそも国際人には町内で起こったことと日本のどこかで起こったことと遠い世界のどこかで起こったことを同じように感じる人間としての感受性が必要なことは言うまでもありませんが、その次に寛容の精神が求められます。異文化で育った人々の交流は当然のことながら度々摩擦を起こします。この摩擦を最小限の混乱に抑えることができるのがこの寛容の精神です。ボーダレス社会を生き抜く的確な素養を持った国際人を育てることがYMCAの年来の願いです。今こそこの社会的ニーズをより真摯に受け止めたいものです。   

(岡山YMCA総主事 米良重徳)





■全人教育としてのYMCAキャンプ

「海には結構ごみが浮いていて、そんなにきれいでもなかった。そのごみをよく見ていると、ごみのほとんどは人間が造って捨てたものであることに気づいた。きれいな海を残していくためにも、人間一人一人が気をつければよいことだと思う」
「僕のリーダーはとても愉快だ。いつも面白いことをして、一緒に楽しんでいる。けれども、グループでの行動にはけじめがあり、みんなと協力して規則正しいキャンプ生活を送ることができた。これもリーダーがけじめをもって僕たちに接してくれ、愉快な時には愉快に、まじめになるときにはまじめに行動してくれたからです。だから僕たちのリーダーはとっても良いリーダーです」
30年前に書き記されたキャンプ参加者の作文の一部です。YMCAキャンプについて考える時、この二人の少年が書いた作文が私の内に必ず浮かび上がってくるのです。この作文は、YMCAキャンプの底流に流れてきたもの、即ちYMCAキャンプの価値を、的確に表現していると、30年間思っています。
雨、太陽、寒い、熱い、きれい、汚い、心地よい、気持悪い、おいしい、まずい等、人間は自然にどっぷり浸る時、多くの自然を体験し、自然環境の一員として創意工夫した生活を送っているうちに、自分の責任に気づいていきます。一方、人間が人間にどっぷり浸る時、プラスやマイナスの感情が交差し、良くも悪くもストレスを感じ、グループの課題を解決しながら、生活を創り上げ、自分と周囲の人間の大切さに気づいていきます。
YMCAキャンプは、環境教育だとか価値教育だとか単純に解釈しないで、人間が生きていくありさまそのものを活動として表しているのです。そして、YMCAキャンプに関わってきた全ての人びとは、この恵みを体験として学ぶことで、生きていく力を共に育み、生き様を明らかにし、人格を形作ってきました。
YMCAキャンプは、Body Mind Spirit のバランスのとれた全人としての成長を図るプログラムであり、聖書に示されているイエスキリストの生き方に倣って一つひとつのアクティビティを実践しています。YMCAには、キャンプを通して「神と出会った」青少年が沢山いるのです。83年間もの歴史を刻んできたキャンプは、YMCA理念そのものを実現しているプログラムだと確信できるのです。

(大阪YMCA総主事 錦織一郎)




■異文化の若者に寄り添う 〜YMCAの日本語学校〜

数年前、学校紹介と学生募集のために訪中した時、中国遼寧省の瀋陽で出会ったある中国人の学校経営者が私にこのように問いかけました。「中国の若者が日本に留学して、強く感じるものは何だと思いますか?」あれこれ思いをめぐらしている間に彼が言ったことは、強いインパクトをもって今も私の中に残っています。「それは、猛烈な淋しさと貧しさです。」
現代中国の若者の多くは一人っ子政策もあって大事に育てられて成長します。家族に守られてきた若者が突然、一人異国に来ているのですから、淋しいのは当然です。また、彼らは必ずしも貧しくなく、むしろ中国でも恵まれた家庭に育っている若者も多く、お金を持っていないわけではありません。しかし、日本との物価や貨幣価値の違いに恐ろしくてお金を使えないというのです。一瞬にして持参金がなくなってしまうかもしれない恐怖です。このように、「淋しさと貧しさ」を抱えている多くの学生を迎えて、私たちは日本語教育の現場に立っているのです。
毎年開催される留学生による日本語弁論大会で多くのスピーカーから語られるテーマには、彼らの思いが語られます。憧れて夢見て訪れた日本。つらいアルバイトの毎日。難しい日本語で失笑を買った思い出。謂われのない差別に流した涙。困った時に受けたうれしい親切、等々、留学生生活の断面が悲喜こもごもの思いを込めて語られます。しかし、多くの学生がこのようなフレーズでそのスピーチを締めくくるのです。「私は日本をもっと勉強して、将来は日本と母国の架け橋になりたいと思います。」
 過去においては不法就労や不法滞在の温床であるような偏見を受けた日本語学校ですが、多くの学生はこの日本で自分の将来を切り拓くために日本の若者には見られないほどの奮闘努力を続けています。異文化の若者に寄り添い、人間として共に成長していくプロセスを援助するこのプログラムはYMCA使命を果たす最前線の現場です。

(神戸YMCA総主事 水野雄二)





■援助する学校 〜YMCAの専門学校〜

 「おいお前、何処でタバコを吸っているんだ!」「・・・・・」「俺の目を見ろ目を!喫煙所があるだろう」。数年前、私はこのように専門学校生に怒鳴っていました。怒鳴ることは、怒鳴られた方もしかりですが、怒鳴る方もいやなものです。悶々とする私はフッと、英会話を学ぶ成人の会員が間違ってロビーで喫煙した時は「すみませんがタバコは外の喫煙場所でお願いします」と言っていたことに気づきました。なぜ私は、学生には怒鳴り、成人の方には丁寧なのか。そこに私の差別意識があることに気づきました。以来、学生には注意ではなくお願いをすること。お願いを聞いてもらえたら「ありがとう」の一言を添えることにして、淡々とこの姿勢を続けました。お願いされた学生は、大抵「ハーイ」と照れくさそうに聞いてくれます。するとこの態度は、専門学校全職員、熊本YMCAスタッフの態度となっていきました。
 「クラス担任の皆さん、どうして学生の服装指導を徹底しないの!」と私の朝礼前の大きな声(当時、商業実務課程の学生は、スーツ着用が原則、ジーンズなどは御法度)。それに対して、「最近では、織りの細かいジーンズもあり、普通のスラックスと見分けがつかない」「服装指導はとてもエネルギーが必要で精神的消耗が激しい」「他の課程学科の学生と見分けがつきにくい」などの反論の声があがりました。「ウーン、では放課後もう一度話し合いましょう」と提案、その場を切り抜け、その日もやはり1日悶々とした私でした。
 そしてその放課後、クラス担任数名にグルッと囲まれた私は、開口一番「もうよいかな〜、服装指導止めても・・」と言いました。呆気にとられながらもホッとした皆さんの表情は今でも覚えています。私は「登校してくる学生の顔を見ずに服装を見ておはようと言う、これは良くないですよね」と反省の弁を述べました。接遇マナーの授業の時は、実習服が必要なので、その日はスーツ着用としてあとの服装は自由にしました。理にかなった決定ですから学生からも好評で、スタッフとの感情的な摩擦もずいぶん減り学校も明るくなりました。朝、校門の前で学生を迎えるのも、服装チェックのためではなく、よく来たねというウエルカムの態度を表すために変わりました。その日一日をYMCAで過ごす学生を、愛情を持って迎えることの大切さを学んだ出来事でした。
 学生を管理する学校から、学生を援助する学校こそ、YMCAに相応しい学校作りだと確信したのもそのころです。

(熊本YMCA総主事 小山哲夫)



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