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全国学生YMCA賛助会ニュースレター 23号より
「聖書の学び」を続ける使命  

日本基督教団千代田教会牧師 四竈 揚

 私は1959年東京神学大学、大学院を終えて日本キリスト教団の教師となった。赴任した教会は世田谷にある経堂北教会であり、爾来副牧師、主任牧師の時代を通して44年間奉仕することを許された。赴任後まもなく「東京教区に属する新卒の教師」ということから伝道委員会のメンバーに加えられ、学生伝道を担当する一員となった。
  そのころ「世界キリスト教学生連盟」(WSCF)の企画で教会の一致と学生への宣教の働きを推進する目的で「教会の生命と使命」委員会(LMCC)のプロジェクトが発足し、日本YMCA同盟もその企画に参加するように呼びかけがあった。学生部はそれを受けて教会との協力を密にするために研究主事を教会に要請したのである。結局そのLMCCの主事を在日大韓キリスト教会の李仁夏牧師と共に教団からの牧師として私がその責任を引き受けることとなった。私が広島大学の出身であり、学内活動としての聖書研究会に参加するだけに過ぎなかったが、ともかく「学Y の出身者」という点で白羽の矢が立ったようである。広島大学のYの先輩には森野善右衛門(前東北学院大学教授)、後輩には田中史郎(前岡山大学教授)や宮野光男(前梅光女学院大学教授)の各氏がいる。


  LMCC の主事として週2日の事務をするだけでなく、春の「全国学生聖書研究ゼミナール」、夏の「全国学生夏期学校」をYMCAとYWCAの合同企画で行ったり、各大学YMCAを学生部主事と共に訪問したりした。そのころの学生部主事は藤森元、本行孝司、後藤邦夫氏らがおり、学生には後にYMCAの主事に奉職して活躍する落合則男、飯島隆輔らの諸君がいた。何よりも全国のキリスト者教師の方々と出会い、交わりが与えられたことは大きな感謝である。季刊誌「学生キリスト者」(後に「大学キリスト者」)のある号に弓削達氏が太平洋戦争直後の「東京学生キリスト教運動」の歩みを熱っぽく書いているが、1960年前後10年間の学Y 運動もそれに匹敵するくらいエネルギーに満ちたものであったと思う。北森嘉蔵(東京神学大学)、隅谷三喜男(東京大学)、中川秀恭(北海道大学)、長清子(国際基督教大学)、松村克己(関西学院大学)、竹中正夫(同志社大学)、飯坂良明(学習院大学)など錚々たる大学キリスト者の顔ぶれを見ただけでも日本全国の各大学で如何に教授と学生とが共に学内のキリスト教運動を展開し、更にそれを全国的な協力と一致によって推進していたかがうかがわれると思う。
  しかしながらその後まもなくいわゆる「大学紛争」及び「教会紛争」が起こり、学生キリスト教運動もその余波を受けて下火になっていったことはまことに残念なことであった。幸い最近はその中から新しい学Yの動きが始まっていることを聞くようになった。各大学の学Y活動が沈滞したとき、ともかく「聖書の学び」だけは続けていた グループが生き残った歴史を思い起こす。そもそもYMCAの働きはこれまで日本社会の中でいつもパイオニア的な働きをしてきたという歴史がある。その中で学Yは活動のエネルギーの源泉であった。国際的な広がりの中での主にある協力と一致のプログラムがその特長である。今後の学Yの活動に期待する者である。
*四竈牧師は、2005年より日本YMCA同盟のスタッフを対象としたキリスト教理解のための聖書研究を指導くださっています。


 
   

全国学生YMCA賛助会ニュースレター 21号より
交わり、伝道、ボランティア−立教大学YMCA115周年を記念して

立教大学YMCA光塩会 会長 飯島 隆輔

メモリアルストーンの発見によって立教大学YMCAの起源が判明しました。
立教大学基督教青年会(YMCA)は創立当時全学生の6割が所属し、人間をあらゆる束縛から解放して自由に真理を追い求めるキリスト教信仰に基づく、「自由の学府」という建学の精神の一翼を担う重要な役割と責任を果した学生と教師のサークルでありました。大学の一部でも教会でもなく、建学の精神を軸に集った超教派の学生キリスト教運動であり、文化サークルでもありました。
この時代に、前後して東大、早大、一橋大、同志社大など全国の大学YMCAが誕生し、1889(明治22)年には第1回夏期学校が開かれています。立教の学生は夏期学校にも参加し、これらの他大学の学生たちとの交流があったことが判明しています。その後百十余年活動は引き継がれてきましたが、YMCAとは何か、何をなすべきかという問いはいつの時にも問われていた本質的な問題であったと思います。
私の現役時代、立教大学YMCAでは、公開礼拝、部員会、聖書研究、分団活動、ワークキャンプ、修養会、筑豊の子供を守る会、街頭募金、全国学生YMCA夏期学校への参加当等様々な活動に参加し、時には学業よりYMCAの活動が生活の中心でしたが、YMCAとは何か、何をすべきか、その中で私は一体何ものなのか、と問い続けました。卒業後四十年経ち、社会もYMCAも大きく変化しましたが、この問いは今も続いております。
立教大学YMCAは、百余年の長い歴史の中で見ると多くの学生が様々な活動をし、出会い、成長していきました。活動は出会いの場であり、学生、教授、OB・OGまた社会や教会、他の学Yとの出会いがありました。立教大学YMCAの特徴は何かといえば、「大学にあって社会に開かれたキリスト教活動」であり、教会とは言わないがその一翼を担う存在であったと思います。社会に対しては社会奉仕、救援活動(今の言葉ではボランティア活動)を通して関わり、学内ではキリスト教団体として広く一般学生に呼びかけて、定期的に公開礼拝を実施して、キリスト教信仰、聖書、大学、人生などの意味を問いました。クラブ全員参加の活動としての修養会、聖書研究会などの活動もしました。
活動は時代によって変化してきておりますが、児童擁護施設での奉仕活動や僻地のセツルメント、台風、洪水など災害地での救援、支援活動は、立教大学YMCAの特徴的な活動です。この社会的なボランティア活動は1892(明治25)年に創立の最初からその萌芽があり、現在の下北の活動にまで続いているものです。
「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなた方も人にしなさい」(マタイによる福音書7章12節)「お前たちは私が飢えているときに食べさせ、のどが渇いているときに飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」(マタイによる福音書25章35、36節)というイエス・キリ
ストの言葉を受けとめ、クリスチャン、ノンクリスチャンにこだわらず自分のなかに内実化しようとすることが、これからの活動ではなかったかと思います。
学生は時間、お金、能力などで様々な制約がありますが、それでもなお自分たちの意志と判断でイエスの教えを実践したのが社会奉仕活動、災害救援活動だったと思います。準備の中で学生一人ひとりがその必要性、意味を問い、効果を検討し、或いは聖書の中に行動の根拠を求めてモチベーションを高めていきました。活動の中で学生たちは仲間や学生たちと出会い、様々な体験をします。重要なことは活動の結果ではなく、様々な社会奉仕活動、ボランティア活動に参加するために部員同士や他者との間、或いは聖書の中にその行動の意味を問い、自分の生き方や存在の意味を問い続けた、ということではないでしょうか。私もYMCAの仲間同士でよく議論したことを記憶しています。現役としてYの活動をした四年間は人生の中でわずかではありますが、多くのOB、OGのその後の生き方、人生に大きな影響を与えたことは確かです。
従来、立教大学YMCAのOB会は、現役会員との一体であるという自覚がありませんでした。本来、学生YMCAは現役会員とOB、OG会員、さらに教師会員とで一体的な組織を構成するのが理想とされています。私たち「立教大学キリスト教青年会(YMCA)」もこれを機会に現役会員、OB、OG会員を包含する組織を持ち、加盟している日本YMCA同盟を通して世界のYMCAの仲間につながっていることを自覚したいと思います。
立教大学YMCAの起源が判明し、晴れて創立百五十周年記念をともにお祝いすることができ、立教大学YMCAの歴史と交わりに心から感謝します。

 
   


全国学生YMCA賛助会ニュースレター 20号より

人を育てる使命

日本YMCA同盟理事長・関西大学YMCA OB  中川 善博

全国学生YMCA賛助会が発足して6年になります。また、全国の学Yに連なる若者達の信仰と友情を育み、生き方を問いあったあの東山荘も昨年90年を迎えました。
学生YMCAの歴史は,先駆けともなる熊本バンドや札幌農学校から数えてほぼ130年、今日の学Yにつながる旧制高等学校に設立されてから、120年を近く迎えようとしています。この間、学生YMCAで育った青年達が、社会で活躍するとともに、YMCAのスタッフやレイパ−スンとして、各地のYMCA運動を担って来ました。
YMCAは、一貫して人を育てることを使命として来ましたが、学生YMCAは将にそうした場として、聖書を通して真摯に生き方を問い求める場であり、仲間と出会う場であると言えます。そのことは何時の時代にも変わらず受継がれて来ました。
青年が、自らの生き方への問いかけを止めたとき青春は終わり、YMCAが祈りと聖書を忘れたとき、YMCAで無くなると云えますが、学生YMCAは、学生と言う場を通して自らの生き方を、聖書に問いながら共に学んで行くところであり、その拡がりが学Y運動であると思います。
近年、大学改革が進み、大学や学生生活が変わっていく中で、活動を休止していた学YやSCAが再建され、インターカレジエイトな活動も活性化しつつあることは大変心強いことです。学Yを学生時代だけの関わりで終わるのではなく、社会の中にあっても聖書を通して自己の生き方を問いつつ、YMCA運動の担い手・支え手として、つながりをもち続けて欲しいと願っています。

 
   

この一年あまり、日本のいくつかの都市YMCAや学生YMCAで、100年を越える記念の集いがもたれました。富国強兵のナショナリズムが勃興する中で、若きキリスト者たちが、厳しい社会の目を受けながらも強い信仰と溢れる使命感のもとに、立ち上げたそれぞれのYMCAの歴史に触れる時、改めて深い感動を覚えます。
なかでも、この4月に100年を迎えた在日本韓国YMCAにとっては、苛酷な植民地支配の時代やさまざまな苦難が続く100年でありました。とりわけ1919年朝鮮に於けるいわゆる,3・1独立運動の導火線となった独立宣言が、在日本東京朝鮮キリスト教青年会で韓国朝鮮の若きキリスト者や学生達によって行われたことは、韓国近代史にとって欠くことの出来無い出来事であり、そうした歴史をもつ在日本韓国YMCA100年の意味の重さを感じます。同時に、YMCA運動の使命や役割を問いかけていることに深く考えさせられます。
日本のYMCA運動は、いま多くの課題に直面しています。特に、公益法人改革はYMCAの今後のあり方に影響を及ぼしかねない問題であり、法人格をもつ学Yへの影響も考えられます。また、個々のYMCAは、財務面や事業面での問題とともに、ボランタリ−ム−ブメントとしての組織維持の人材が課題となって来ています。学Yが、日本のYMCA運動を担って来たように、今また、YMCA運動の担い手を次々と生み育てて行くことが求められています。
その面からも、明日を担う学Yの活動を支える賛助会を、もり立てて行きたいものです。

 

 

 
   

全国学生YMCA賛助会ニュースレター 17号より
「たった一人の現場研修」を続けて

青山学院大学SCA OP 黄 崇 子(現、横浜YMCA常議員・日本YMCA同盟常議員)
1980年、学生YMCAの夏期ゼミナールに「出会ってしまった」ために、私はその後「たった一人の現場研修」をし続けることになりました。
父が台湾人、母が日本人の在日二世である私は、日本植民地下の台湾から日本に留学した父が、戦後の国民党政権の抑圧に抵抗する台湾独立運動に参加したため帰国を断念せざるを得ないという実質上の亡命状態の中、日本で生まれました。クリスチャンホーム、通名は持たず、名前は「こうたかこ」と日本読みで台湾人の子どもとして育ちましたが、高校時代に公立の教員になるのには不利だと父を説き伏せて妹たちと四人で帰化。「江夏」の姓で通学していた青山学院大学時代、SCA(Student Christian Association)の友人に連れられて参加した夏期ゼミでは、“差異を差異としてつきつめる”が討論されており、日本社会での居心地の悪さを理解してくれる人たちの集まりでした。
望月浩、中原眞澄・両同盟学生部主事の勧めで学Yを通して参加したSCM現場研修。大阪生野の在日家庭で労働し、聖書を読みながら考え、在日青年と討論したことがきっかけとなり、“地球人として生きる”とうそぶくだけで在日の困難さと闘っていない自分に気付かされました。この時から私は、「在日の自分たちが国籍を変えなければ就職できないような社会ではなく、日本という国の方が私たちを受け入れて変わらなければな
らないのではないか。」と考えるようになり元の名前を名乗ることにしたのです。卒業後、カンボジア難民キャンプで働いていた時期をはさんで、学YからNCC青年協議会、WSCF(世界学生キリスト教連盟)のタイHRD(Human Resource Development)プログラムに参加、FIM(Frontier Internship in Mission)を通して台湾に留学。独立運動者の子弟である私が、政治犯を長と仰ぐ台湾長老教会の政治犯家族支援に関わったため大学生に告発されて強制出国となった際も、学Yを中心とする会が「抑圧される民衆とともに神はいたもう」と信じ支えてくれました。その後、「在日と同じ釜の飯を」と在日労働者と同じ視点でものが見たくて横浜中華街に住み、働きました。どの国の、どんな場所にいても、そこが安全でも危険でも、いつも「たった一人の現場研修」の意識は抜けませんでした。
現在は神奈川新聞社で働きつつ、台湾の従軍慰安婦裁判の支援をしています。日本YMCA同盟と横浜YMCAの常議員をしていますが、看板のかかった所だけがYMCAなのではない−今は離れているけど青年時代鍛えた学Y的な思考で運動に関わっている人はたくさんいる−と思っています。
学生YMCAは、長きに渡りこれだけ多くの種を蒔いたのですから仮にYMCAの看板がなくなっても、その精神は全国個々行った先の働きに残るはず。実りが見えないだけなのです−例えば、わたし。2000年、台湾人は400年の歴史ではじめて自分たちの手で自分たちの未来を選択できました。
私を支えてくれた学Yに感謝。学Yが、こんな豊かに実りに貢献してたなんて・・・だあれも知らないもんなあ・・・。




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