| 1. |
|
はじめに〜外国語学習意欲に応えて〜
外国語学習とYMCAとの関係はその歴史とともにあります。ロンドンにYMCAが結成され活動を開始した翌年、1845年にはすでに「フランス語、ドイツ語、ラテン語、ギリシャ語、およびヘブル語の授業と英文学のクラス」がありました。当時のイギリス社会の国際性と経済状況を考えれば、青年の向上心と外国語学習の必然性が推察できます。そして、これとは様相を異にしますが、切実性という点では似通った状況にあったのが明治期の日本の特に大都市部でした。西欧社会に伍して自立の道を求めようとした政治・経済・社会のさまざまな動きの中で外国語、特に英語の習得は個々の青年にとっても、国家にとっても緊急の課題でした。湧き起こる旺盛な学習需要に対して、しかし制度として供給された教育機会は極めて少なく、たとえば初等教育(4年制)が全国に普及したのが明治8年、また中学校の一県一校が廃止されたのが明治24年であり、小学校の就学率ですら90パーセントに達するのに30年(明治35年)を要したという状態で、都会で働く青年の大多数にとって、学校教育に参加することは夢でしかない状態が続きました。 |
|
|
|
| 2. |
|
青年夜学校の開設(1890年〜1945年)
このような中で、日本のYMCAは、最初の協力主事J.T.スウィフトの協力を得て、1890年東京に英語夜学校を開設、大阪、横浜、神戸がこれに続きました。これらは、向学心に燃える青年たちに働きながら学ぶことのできる機会を提供し、かつ聖書を基にした価値観を伝えることを目指していました。1918年は神戸YMCAが、その翌年には東京YMCAが英文タイプ科を設立、1922年に認可されました。当時の入学許可者は男子のみで、初の女子入学は1935年までまたなければなりませんでした。また、東京YMCAでは、1935年東京府の認可を得た各種学校として、一年制の国際ホテル学校を開校しました。これが日本のYMCAにとって最初の職業専門学校となって今日に及んでいます。
しかし、日中戦争(1937)から太平洋戦争(1941)への突入という厳しい時代のなかで、不要不急の事業とされた各種学校は廃止されました。 |
|
|
|
| 3. |
|
第二次大戦による混乱からの復興の時代(1945〜1960)
1945年の終戦によって、各地のYMCA英語学校は復活し、隆盛をみるようになりました。また、廃校となっていた国際ホテル学校も、新設という形で再開しました。英語学校の大部分は夜間課程でしたが、東京YMCAでは「従来の夜間学級では比較的短期の限られた時間数の教育を続けてきたのに対して、はじめて、より組織的な、継続的な短大に匹敵する、否、それに優る教育課程を提供すること」を目的として1946年に昼間部を開設しました。これに続いて、大阪YMCAをはじめ各地で全日制コースの設置、昼間会話集中コースなどが開設され、英語教育の充実が図られました。
このように各地のYMCAが英語を主とする教育事業に取り組んだ中で、熊本YMCAは、1949年に簿記学校を開設、1953年には熊本YMCA学院として県の認可を受け、早い時期から産業教育への取り組みを始めています。 |
|
|
|
| 4. |
|
全日制科の開始(1960年代)
1956年の経済白書が「もはや戦後ではない」と記し、1960年、池田内閣による所得倍増政策が軌道に乗って、経済成長率は実質13.2%に達してレジャー時代が幕を開けました。1965年、東京YMCAが1年制の秘書科を開設。それまでの昼間英語科と昼間タイプ科を合わせて設立したもので、全日制職業教育の最初のもので、翌年から2年制になりました。
この時期、社会・経済的状況の変化を受けて、各地のYMCAではこれまでの英語中心から、他の領域への進出を試みる動きが見られるようになります。東京YMCA国際ホテル学校は、国際オリンピッックの1964年東京開催を受けて1953年以降応募者が急増、学校の規模を拡大しました。また、1960年には京都YMCA国際ホテル、1964年には神戸YMCAに国際ホテル学校が誕生して、英語中心であった職業教育事業に変化が訪れました。いずれの学校でも、キリスト教に基づく職業倫理を必修科目に加え、職業人としての心構えの確立に意を用いたことが、良い伝統となりました。 |
|
|
|
| 5. |
|
応募者の増加と領域の拡大(1960〜1970)
東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が開通をみた1964年、東京YMCAタイピスト学校に高卒の女子を対象とした秘書実務科が開設され、大阪(1966年)、北海道(1967年)、京都(1968年)名古屋(1969年)横浜(1970年)がこれに続きました。
ホテル学校も秘書実務科も、企業からの求人に恵まれて卒業生の就職率は良かったものの、一年制では、高校卒と短大卒との間で、初任給の面でも中途半端であるとの受入側からの意向もあり、東京YMCAでは、ホテル学校は1965年から、秘書実務科は1967年からそれぞれ二年制をとることになりました。その結果、秘書実務科の卒業生は、ほとんど短大卒と同じ待遇を与えられるようになりました。1967年、東京YMCAは全国で初めての工科系職業学校として建築科とデザイン科とを持つ「デザイン研究所」を開設しました。その後、熊本、広島なども工業系の講座やクラスを開設し、職業教育の領域が拡大されていくことになりました。
そして、YMCAにおいて職業教育が急速に規模を拡大したこの時代、職業教育事業の理念を教職員一人ひとりが理解し、教育活動上で具現することについての必要が、YMCAの内に問われるようにもなりました。1969年度の日本YMCA年鑑の職業教育の項は「秘書実務科、ホテル学校、デザイン、建築など、職業教育の分野におけるYMCAの役割は大きくなった。・・・しかし、われわれがもう一度考えなければならないのは、歴史のあるホテル学校、予備校を除いて、全日制の教育を行うにあたっては未経験のものが多い。生徒管理、カリキュラム、カウンセリング、職業斡旋など、規模を急速に拡大することより、よりよい教育を行うことをまず念頭におくべきではなかろうか」と記しています。 |
|
|
|
| 6. |
|
専修学校制度施行、第三の高等教育機関として(1970〜1980)
1975年、新しい高等教育としての各種学校の充実のために、学校教育法が改正されて専修学校制度が定められました。1977年に東京YMCA英語学校と同デザイン研究所が、ともに「専門学校」としての認可を得て、8YMCAの10校がこれに続きました。国際ホテル学校は2年遅れて1979年、専門学校に移行しました。 |
|
|
|
| 7. |
|
社会体育、ホテル・観光系専門学校の増加(1980〜1990)
1980年に、東京YMCAは創立百周年記念事業の一環として、全日制としては日本で初の社会体育専門学校を開設しました。この時代、温水プールを含む室内総合体育館が各地に建設され、スポーツ・インストラクターへの需要が多くなっていたという社会背景がありました。大阪YMCAは1984年、名古屋YMCAも1986年に社会体育学科を設立、1988年神戸YMCAがこれに続き、1989年には横浜YMCAが海洋科学専門学校という名称で、社会体育系の専門学校を開設しました。
一方、ホテル学校への関心も高まり、既設の東京、京都、神戸、北海道に倣って、福岡が1987年国際ホテル旅行科、1988年には仙台が東京の姉妹校と銘打って国際ホテル専門学校を開設、1989年横浜がホテル・トラベル科を開設しました。 |
|
|
|
| 8. |
|
福祉系専門学校の時代、今後の課題への模索(1991〜)
目前に控えた超高齢社会に備えて1987年に「社会福祉士及び介護福祉士法」が制定されましたが、それに先立ち、1985年、横浜YMCAは初めての福祉系の学校として「YMCA健康福祉専門学校」(社会体育科/健康福祉科の二学科)を開設しました。これに次いで熊本YMCAでは、老人ケア科を新設しました。
その後、広島YMCAでは、1993年、鳥取県米子市に、YMCA米子福祉専門学校を開き、4年制の理学療法士科、作業療法士科、2年制の介護福祉科を設置、1997年には、県内の尾道市に、1998年には、岩国市にそれぞれ福祉系の専門学校を開いて、厚生省の認可を必要とする、医療専門課程と社会福祉専門課程の学校4校を有するYMCAになっています。広島YMCAは、この他に広島と福山に商業実務課程の二つの専門学校を持ち、これら6校は、学校法人広島YMCA学園として運営されています。
1996年には、東京YMCAが国際福祉専門学校を、和歌山YMCAが福祉医療専門学校という名称で介護福祉士養成の専門学校を、いずれも学校法人として設置しています。また、横浜YMCAも二つの福祉系専門学校を、京都、福岡のYMCAも福祉系の学科を開設、さらに、東京と京都は、それぞれ作業療法士科と社会福祉科を夜間部として2001年に開設しました。また、21世紀に入り、高齢化とともに深刻な少子化に対応した人材育成をめざして東京と福岡で保育科を開設。全国24の専門学校のうち、12校は福祉系の学校となり、今日のYMCAの職業教育の主流となりました。福祉系の専門学校には、従来の高卒者以外にも、やりがいのある仕事を求めて学ぶ社会人経験者の姿も多くあり、さまざまな年代の学生が刺激しあいながらともに学ぶ新しい教育の場となっています。
一方、伝統ある東京YMCA英語専門学校をはじめとする語学・ビジネス系の専門学校の数校はその役割を終えて閉校したり、福祉系の新学科として生まれ変わるなど、その姿を変えました。
YMCAの職業教育(専門学校)は、日本という学歴社会のなかで、青年に学歴のみによらない、自己実現をはかる機会を提供するという精神を創立以来掲げてきました。この「職業による自己実現」への志向は、YMCAの職業教育がその出発の初めから、そしてこの国に職業安定法の整備されるはるか以前から、いくつものYMCAで職業紹介事業を行ってきた歴史を持つことでも示すことができます。1902(明治35)年制定の名古屋基督教青年会規則第3条の6項には「職業ヲ要ムル青年ヲ適当ノ位置ニ紹介スル事」と記して、その目的達成のための事業として挙げています。先に記した英語夜学校の開設も、この精神に沿ったものでした。
時代の要請に沿って学校・学科は変遷しても、YMCAは常に職業をとおして自分を磨き、社会に奉仕する「人」を育てることに努めてきたのです。 |