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目次
青少年による青少年のための団体として信徒によるエキュメニカル(超教派)運動として精神(Spirit)と知性(Mind)の向上をめざして〜青年の求めによって〜ボランティアとスタッフは車の両輪YMCAのパートナー(協力者)〜ワイズメンズクラブとYMCA国際賛助会〜世界YMCA同盟の結成日本のYMCA草創期全人的成長を願って職業教育キャンプ・グループワークユースリーダー学生YMCAバスケットボールなどウエルネスコミュニティに生きる一人ひとりのウェル・ビーング(福祉、教育活動)ボランティア平和地球市民のアソシエーションとしてYMCA略年表

青少年の青少年による青少年のための団体として
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YMCA(Young Men's Christian Association)は、1844年に産業革命下のイギリス、ロンドンで、同世代の仲間の人格的成長や生活改善を願う20歳代前半の12人の青年たちによって組織されました。
18世紀の半ばから、19世紀の半ばにかけて、イギリスでおこった産業革命とその後の資本主義の発達は、大量の賃金労働者を生み、人々の生活を大きく変化させました。YMCA創立者の一人、ジョージ・ウイリアムズ(1821〜1905)は、イギリス南部の農園から14歳で都市に出て徒弟として呉服商で働いていました。その頃の呉服商の店員の労働条件は、労働時間が1日平均14時間、週6日勤務という苛酷なものでした。同僚たちの多くが、勤務時間後に強い酒を飲んだり不道徳なことをして時を過ごすのを見ていたジョージは、極度の疲労は人の心・精神をも弱くするということを痛感していました。ジョージは、人が自らの力で内側から環境を良くするには何が必要かということを真剣に考え、キリストへの信仰による愛と勇気が必要であるという思いにたどり着きました。そして、熱心な祈りをもって、自分の勤めている店の中を中心として祈りのグループをつくりました。それが1844年6月6日、YMCAの結成につながりました。
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信徒によるエキュメニカル(超教派)運動として
YMCAは、魂の救済による社会的改革をめざす12名の青年たちによって始められましたが、彼らはそれぞれ4つの異なった教派に属するキリスト教信徒でした。組合派の教会に属するもの3人、バプテスト派に属するもの3人、メソジスト派に属するもの3人、そして英国教会(聖公会)に属するもの3人でした。YMCAは、当初から教派の違いを度外視し、かつキリスト教徒のみならず、一般の青年も巻き込んだ運動として急速に発展しました。YMCAは誕生した当初から超教派の人びとの集まりであり、このことはYMCAの基本的性格となっています。
現在は、WCC(世界教会協議会)NCC(日本キリスト教協議会)や、WSCF(世界学生キリスト教連盟)などYMCAと同じくエキュメニカル運動の使命と性格を持つ団体・機関とも協働し、クリスチャンリーダーシップの育成に努めています。
YMCAはキリスト教を指針にしつつ、社会の諸課題に取り組むNPOです。神様にかたどってつくられた一人ひとりの生命・人権を大切にすること、神様の創られた世界を大切にすることをその目的において事業を展開しています。
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精神(Spirit)と知性(Mind)の向上をめざして〜青年の求めによって〜
YMCAは、設立後またたく間に多数の青年たちが参加するようになりましたが、その青年たちの知的要求に応えて、宗教や生物学、社会問題、経済学などの公開講演会を一流の講師を迎えて開くようになりました。また、1849年には図書館を設け、ここを拠点にさらに活発に運動を展開しました。
このようにしてYMCAの第一目的である神を知ること=宗教心・精神(Spirit)の涵養から知性(Mind)の向上のためのプログラムが生まれ、しかもこの二つには深い内面的な結びつきがありました。これはやがて身体(Body)の鍛錬のための体育事業や社会奉仕のプログラムへと発展する最初の糸口でもありました。
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ボランティアとスタッフは車の両輪
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創設2年目には、会員も急速に増加し、会務が増えたので会の運営の実務を担うスタッフが会員の中から選ばれ、会員のかわりに会務に専念するものとして雇われました。その後、YMCAの成長に従ってスタッフの数は増えていきますが、ジョージ・ウイリアムズをはじめとする創始者たちは、生涯、一会員としてYMCAを支え続けました。YMCAは設立当初からボランティアムーブメントであり、ボランティアとスタッフが共に責任を担うボランティアアソシエーションなのです。
2005年現在、日本のYMCAには、3,503人のポリシーボランティア(方針決定に関わるボランティア)と4,235人のユースボランティア(野外活動や学習活動などのプログラムで子どもたちを指導するボランティア)と2,121人の有給の常勤職員・講師がいます。さらに、YMCAの趣旨に賛同し、会費を払ってくださっている個人会員は13,858人、法人会員は843法人となっています。
YMCAの諸活動はまさに、ボランティアによってそのエネルギーが与えられているのです。
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YMCAのパートナー(協力者)〜ワイズメンズクラブとYMCA国際賛助会〜
YMCAが160年の長きにわたって活動を続けてくることができた理由の一つは、常にYMCAの活動を理解して支持してくれる後援者がいたことにあります。ロンドンYMCA創立当時も、上院議員であったシャッベリー卿などが有力な後援者としてYMCAを支援してくれ、YMCAは社会的認知と地位を確立しました。YMCAは、あくまで青少年が主体となって活動する団体ではありますが、継続的に活動を展開するためには広く社会的な支持を得ることが必要だと初期の指導者たちは考えました。現在の日本のYMCAもさまざまな後援者に恵まれていますが、ここでは特に、ワイズメンズクラブと国際賛助会についてご紹介します。
ワイズメンズクラブ国際協会(東日本区西日本区)は、奉仕活動を通じてYMCAを支援することを主な目的とした国際的なクラブです。日本では1928年に大阪YMCA総主事であった奈良伝(ならつたえ)によって大阪ワイズメンズクラブが最初に設立されました。いま、日本全国で147クラブ、約3,000名の組織になり、YMCAの強力な支援団体となっています。
また、YMCA国際賛助会(Foreign Community Supporting Committee) という各国の在日大使や外資系企業を中心にした賛助団体は、チャリティーランやコンサートなどの活動によって資金をつくり、YMCAの青少年活動、特に障がいのある子どもたちのためのプログラムを精神的・財的に支援してくれています。この助成に励まされて、現在はキャンプを中心に体操・水泳・音楽・絵画・学習活動などのプログラムが全国で百あまり行われるようになり、約3900人の障がいのある子どもたちが参加しています。
こうした後援者・サポート団体があるのも、YMCAの特徴の一つです。
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世界YMCA同盟の結成
さて、YMCAは1844年の設立後たちまち世界中に広がりました。1855年に9カ国38YMCAが参加して第1回世界YMCA大会がパリで開催され、世界YMCA同盟が結成されました。またその場で、YMCAの使命として、また加入の基準としてパリ基準が制定されました。ちなみに、赤十字創立者のアンリ・デュナンもスイスのYMCA代表でこのパリ基準起草の中心人物でした。
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日本のYMCA草創期
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初代東京YMCA会館
日本では、1880年に東京YMCAが創立され、その後大阪YMCA、横浜YMCA、神戸YMCAが創立されました。日本でも先ずYMCA運動を興したのは、20歳代の青年たち。その中には、内村鑑三、新渡戸稲造、新島襄など当時の社会を代表する青年、青年牧師もいました。
北米YMCA協力主事第一号のジョン・T・スウィフトは、島崎藤村に洗礼を授けた木村熊ニが必死に黎明期の東京YMCAを支える姿を見て、その働きに感激し、日本のYMCAの基礎作りに貢献してくれました。この時から、北米YMCAは、第二次世界大戦後日本の社会が復興するまで、協力主事の派遣などをとおして、ずっと日本のYMCAを支援してくれました。
熊本洋学校で米国退役軍人L.Lジェインズに接し、信仰の決意をしたいわゆる熊本バンドの一員であった宮川経輝(みやかわつねてる)は、後に、大阪YMCA初代会長となりました。土佐藩の片岡健吉も、自由民権運動に関わり、衆議院議長になる人ですが、東京YMCA理事長でした。青年たちは、YMCA運動のために奔走し、日本社会への啓発を目的として多くの講演会を行い、その記録として雑誌「六合雑誌」(りくごうざっし)や「青年道標」(せいねんのみちしるべ)を発刊しました。
YMCAは、日本語では「キリスト教青年会」と言います。Youngの訳語として「青年」という言葉を創り、日本で最初に公に「青年」という言葉を用いたのは、東京YMCAの創設者の一人である小崎弘道(こざきひろみち)です。小崎はこの言葉について、唐詩選の句「青雲のごとく志を高くもつ」からヒントを得たと後に回顧録に記しています。
このようにして、日本でもYMCAは青年の手により出航したのでした。
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全人的成長を願って
YMCA略章
世界中どこでもYMCAは赤三角のマークを掲げています。この正三角形の辺ひとつ、ひとつは、Spirit(精神)、Mind(知性)、Body(身体)を表します。人間はこの三つの統一体で、この三辺が調和した全人的な成長が大切だということを示しています。人間の全人的成長をめざして、YMCAは、子どもや青年のためにさまざまな活動を始めました。
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職業教育
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1890年に東京YMCAに英語学校が開設され、各地YMCAにも次々と英語学校ができました。YMCAの英語教育のキャッチフレーズは"Difference is Beautiful" 「違いはすばらしい」であり、"Universal Brotherhood"「世界に広がる兄弟」。言葉という道具を使って世界の人々と交流し、理解し合い、協力し合おうと考えたのです。
1935年には、予定されていた幻の東京オリンピックにあわせて、国際ホテル学校も開校されました。この学校は、聖書の「旅人をもてなしなさい」との聖句を標語にして世界に通用する多くのホテルマンを育ててきました。
その後、ビジネスや社会体育、社会福祉など、時代のニーズに合わせてさまざまな分野のプロフェッショナルを育てる職業教育を行ってきました。学ぶ人の年代も広がり、2004年現在は、全国で24の専門学校と78の語学学校があり、2,666名と10,476名がそれぞれ学んでいます。
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キャンプ・グループワーク
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1915年、大阪YMCAにて「少年義勇団」が発足し、デイキャンプ活動を始めた。教育的サマーキャンプとしては、1920年の六甲山麓南郷山での夏期天幕生活が最初となる。
1920年にはグループワークとしてのキャンプも始まりました。初期のキャンプを指導した小林弥太郎は、ジョン・デューイに深く影響を受け、「どんな教育的経験も子どもの興味・関心から離れては身にならない。興味と自発性に基づいて子どもを導くことが大切」との考え方を強く持っていました。このことからYMCAは、小集団活動をとおして個人とグループの成長を図るグループワークという手法をいち早く取り入れました。日本YMCA同盟総主事であった永井三郎は、トレッカーの「ソーシアル・グループ・ワーク」を訳し、日本のグループ・ワークの父と呼ばれました。
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ユースリーダー
子ども、青年が交わり、グループを通して成長するには、ボランティアリーダーの存在が大切です。YMCAでは、ユースワーカーの大切さを認識し、リーダー、ユースワーカーの養成に力を入れました。「明日のリーダーは、今日作られる」というスローガンもありました。
青年たちの思いを聞き、支えあうことの大切さを、身をもって示したリーダーの一人にディーン・リーパーというアメリカYMCAから派遣された、学生YMCA主事がいます。戦後間もなく来日し、気さくな人柄で手品が巧く子ども会でも人気でした。学生一人ひとりに声をかけ、励ましてくれました。たとえば当時、東北大学の学生の一人であった不破祐(ふわたすく)さんは、東山荘にて毎年開催された学生YMCAの全国集会、夏季学校で彼に会いました。留学の希望を述べると喜んで聞いてくれたそうです。そして、晴れて留学となり、米国へ着いたら、彼から手紙が届いていました。中には手紙と100ドルが入っていた。感謝に堪えなかったと語っています。ディーン・リーパーは、1954年9月青函連絡船の洞爺丸に乗船していて、遭難。自分の救命胴衣を他の乗客に渡し、自らは遭難したことは有名な話です。
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学生YMCA
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都市YMCAと同じく日本のYMCAの基盤となった学生YMCAは、1960年代には147大学に組織され、3000名の会員によって活発に活動していました。現在、YMCAを支える会員の中には、学生YMCA出身の方も多くいます。青年期に聖書のイエスに触れ、人との出会いをとおして生き方を問い直し、ワークキャンプなどを行ってきました。また、高等学校の学生YMCAは「ハイY」と呼ばれ、60年代には77高校に組織されていました。山梨YMCAは、ハイY出身者が草創期に大変尽力するなど、YMCA運動を担う多くの指導者を生み出しました。しかし、学生YMCAとハイYは、70年代の学生運動の時期に急速に減少、2005年には、11大学の寮の運営と、サークル形式の大学も含め32大学で約250人が活動しています。それぞれの大学において聖書研究や読書会を行い、地域レベル(夏期学校)、全国規模(全国夏期ゼミナール、日韓学生YMCA交流、ジェンダーグループ)で活動し、海外派遣(WSCF・インドなど)も行い、次代の社会、YMCAを担う人材を育成しています。
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バスケットボールなど
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さて、アメリカのYMCAでは、子ども・青年の成長を学校・家庭だけに閉じ込めないで、地域社会や社会教育という働きの場で成長することが大切として、次々と活動が広がっていました。皆さんも良くご存知のバスケットボールは、1891年にJ・ネイスミスという米国YMCA主事によって創案されました。そして、バレーボールも1895年にウィリアム・G・モーガンによって創案されました。
そのバスケットボールを日本に紹介したのが、大森兵蔵というYMCAの主事です。大森は、アメリカへ留学中、YMCAの活動に接し、幼児から高齢者までそれぞれが運動を楽しんでいるのを見てびっくりしました。日本では、体育というと軍隊か運動選手しか普段はしなかったからです。YMCAは、それ以外にも、室内プール、総合体育館を日本で初めて取り入れました。
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ウエルネス
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体育のきらいな子どもの教室
1964年 神戸YMCA
YMCAは、あらゆる年代の人がそれぞれにあった、興味のある、楽しいと思える運動ができることがよいと考えています。そうして、体育のきらいな子どもクラス、母と子の水泳教室、肢体不自由児の雪上教室などの活動が次々とひろがっていきました。「ウエルネス」もYMCAが積極的に提唱した考え方です。ウエルネスとは、「自分の健康に責任をもつという強い意思と自分自身にあったライフスタイルを作り上げ、それにともなう生活の変革である」と言われています。ただ運動をして、健康になるというのではなく、生き方全体を捉えて、より良く生きる、生きる価値をもつということです。YMCA正章の赤三角形とつうじます。
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コミュニティに生きる
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東山荘 富士山プログラム
みんなの気持ちを和らげたり、楽しく知り合ったり、気持ちを一つにする方法としてゲームやキャンプソング、ハイキングなどのレクリエーションがありますが、そのレクリエーション協会の歴史にこういう記事があります。「YMCAは、都市の働く勤労青少年に対して、活動写真や幻灯、お話、ゲーム、歌などを内容とするレクリエーション・プログラムの提供を行った。そして、関東大震災後には、各地の児童遊園で、子どもたちへのレクリエーション指導を積極的に展開している。」関東大震災の時には、被災者への救援と同時に、すでに子どもたちへのレクリエーションを通して心のケアをしていたことが分ります。このようにYMCAは、地域の中で、地域のニーズに応え、協力するコミュニティセンターのような役割も果たしました。
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一人ひとりのウェル・ビーング(福祉、教育活動)
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富山YMCAフリースペース さくらカフェ
少子高齢社会、共働き家庭の増加、価値観の多様化など、家族を取り巻く環境の変化にともなうニーズに対応して、特に1990年代以降、保育園、無認可保育などのチャイルドケア、単位制高校・フリースクールなどのオルタナティブ学習、高齢者ケア、障がいのある子どもたちの余暇活動など、家族を支えるファミリーサポートプログラムを積極的に展開してきました。
これらのプログラムに共通する理念は、子どもたち、高齢者一人ひとりがもっている力や可能性を最大限発揮できるようサポートすること。それぞれが与えられた命を美しく燃焼させて生きることです。YMCAはその基盤となる家族を応援します。
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ボランティア
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全国で行われているキャンプや国際交流、高齢者への関わりなどYMCAの地域活動はボランティアによって支えられています。
ボランティアもチャリティの色彩が強い時代から、自己開発や自己実現の方法という段階に入ってきました。人びとの自発的な思いが、地域社会をお互いに支えあい、元気にする源だという認識が社会の中にできてきたのです。YMCAは、人と人の思いをつなぎ実現する場として、地域の諸団体とも連携し、ネットワークを築きながら働きを進めています。
緊急時対応としてYMCAは独自のネットワークを活かした活動を展開してきました。伊勢湾台風や、1991年の雲仙普賢岳災害などの災害時も、その地域のYMCAを中心として支援活動を行いました。そして、1995年阪神淡路大震災では、神戸YMCAが地域救援の拠点となってYMCAのボランティアリーダーが、自転車部隊を組織して被災者の要望を聞き、必要なものを届けました。2003年には水俣の水害や宮城県連続地震の被災者の支援、2004年から2005年度にかけてはボランティアコーディネーターの派遣、交流キャンプなどをとおして福井・新潟水害、台風23号、新潟中越地震の被災地を支援しました。
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平和
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日本のみならず世界のYMCAでは、公正で平和な社会・世界の実現が重要なその使命の一つとなっています。
中世の修道士アッシジのフランシスコの祈りに、「ああ主よ私をあなたの平和の道具としてください。憎しみあるところには愛をもたらし、争いあるところには赦しを、分裂あるところには一致を、疑いあるところには信仰を、誤りあるところには真理を、絶望あるところには希望を、悲しみあるところには喜びを、闇あるところには光をもたらす者としてください。そして慰められることよりも慰めることを、理解されることよりも理解することを、愛されることよりも愛する者としてください」とあります。YMCAにつらなる人々はこの祈りにあるような、平和をもたらす者、創り出す者としての使命を担っていると言えます。
日本のYMCAでは、歴史的には日韓国交正常化以前の1961年の学生YMCA訪韓が契機となって交流が復活し、現在、「平和、人権」をテーマに日韓学生YMCA交流プログラムを毎年開催するにいたっています。中国YMCAとは1979年以降交流が進み、1991年からは日中青年友好平和セミナーが日本と中国で隔年開催され、中国各地の青年と日本各地の青年がともに集い交流が進んでいます。このように韓国・中国を始め、台湾、フィリピン・タイ・ベトナム・ミャンマー・シンガポール等東南アジアの各国・地域のYMCAとパートナーシップを結び交流、人材派遣・受入を行い相互理解を促進しています。
そのほか、ヨルダンやパレスチナでの難民支援、パキスタンでのアフガン難民支援、スリランカでの紛争によって傷ついた子どもたちのためのキャンプ、東ティモール復興支援協力を行い、カンボジア地雷廃絶キャンペーンへの協力も積極的に行っています。
2004年の夏にはパレスチナ、スリランカ、インド、米国といった紛争・戦争当事国・地域から青年たちを招き広島・長崎を始め日本全国19ヶ所を巡り「平和の尊さ、いのちの大切さ」を訴えるピースキャラバンを展開し、地域の2000人の人々と交流をし、このニュースを世界のYMCAに発信しました。
全国各地のYMCAでは平和教育・学習、平和週間、平和月間、平和セミナー、グローバルセミナー、ピースウォーク、平和を祈るメッセージカードづくりなどに毎年取り組んでいます。この取り組みは、子どもから大人までが一緒に参加するものとなっています。
公正で平和な社会は、人々が出会い、本当に親しい友人となって交流し連帯していくことによって実現されていくものと考えます。このようにYMCAは、地域・日本各地・世界の人々と共に協働して公正で平和な社会・世界を創り出す運動をしています。
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球市民のアソシエーションとして
経済学者の故隅谷三喜男さんは、「日本の歴史の中で、血縁、地縁、利害関係に寄らず、共通の目標達成のために誰でも自由に参加できる、アソシエーションという概念を最初に具現化したのがYMCAだ」と言っています。100年を越す歴史の中で、YMCAの目的に賛同し、関わりをもつ人々の裾野は、富士山の裾野のように広がっています。
「世界を見つめ、地域に生きる」というスローガンがありますが、これはYMCAの歴史そのものです。YMCAは、キリスト教精神を基盤にしていますが、開かれた団体です。地域の人々やNPO・NGOと協力して、「乳幼児から高齢者までのライフサポートセンター」として、特に子ども・青年の全人的な成長に関わりつづけ、コミュニティのニーズに応えるアソシエーションとして「いのちと人権を守る」団体として、邁進していきます。
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1844 世界最初のYMCAがジョージ・ウィリアムズらによりロンドンに創立(6.6)。その後、エルベルフェルト(1848)、モントリオール、ボストン、アムステルダム(1851)、パリ、ニューヨーク、ワシントン、ジュネーブ(1852)にYMCA創立。
1855 第 1 回世界YMCA大会パリで開催(9カ国、38YMCA)、世界YMCA同盟結成、パリ基準制定。
1866 ニューヨークで全人育成プログラムが採用される。
1880 日本最初のYMCA東京に創立(発会式5.8)、機関誌『六合雑誌』創刊(10.11)。
1882 大阪YMCA創立(6.4)。
1884 大阪YMCAで初めて「会員証」を発行。
1886 大阪YMCAで大阪体育会設立、YMCA体育事業のはじまり。また、日本最初の会館建設(11.3)
1887 東京専門学校(現早大)、高等商業学校(現一橋大)、第一高等学校、農林学校(現東大)に学生YMCAの芽生え。
1888 YMCA 英語教師として、J.T.スウィフト初来日。初の大学YMCAである東京大学YMCA創立(5.13)
1889 第1回夏季学校を同志社で開催。
1890 東京YMCA英語夜学校開設。YMCA英語学校のはじまり。
1893 第1回全国YMCA大会、須磨にて開催。
1896 J.R.モット世界学生キリスト教連盟(WSCF)総主事初来日、多くの学生YMCAをつくる。
1897 日本学生YMCA同盟結成(10学生YMCA)し、世界学生キリスト教連盟(WSCF)に加盟。
1901 東京、大阪、横浜、神戸の4YMCAにより、日本市YMCA同盟結成。
1903 学生YMCA・市YMCA両同盟合体し、日本YMCA同盟結成(7.24、51学生YMCA、6市YMCA)。
1906 機関誌『開拓者』創刊。
1907 万国学生キリスト教青年会大会(第7回WSCF大会)東京で開催、アジアで初の国際会議(25カ国、627名)。
1912 日本YMCA同盟、財団法人設立許可おりる。
1913 朝鮮YMCA連合会、日本YMCA同盟に併合
1915 東山荘開設、夏季学校常設館となる。
1917 わが国初の体育館・室内プール、東京YMCAに開設。主事講習会はじまる。
1920 わが国初の教育的組織キャンプ、大阪YMCAにより六甲で実施される。
1923 関東大震災で東京、横浜、東大、同盟の各YMCA被災。
1928 大阪YMCAに日本で最初のワイズメンズクラブ(東日本区/西日本区)設立。
1929 第1回キリスト者学生運動(SCM)研究会開催。
1930 日本YMCA創立50周年全国大会、東京で開催。
1934 ジョージ・ウィリアムズの誕生日をもって「YMCA記念日」(10.11)と定める。
1938 第1回農村冬季学校、静岡県沼津市久連にて開催。
1940 夏季学校50回記念式を東山荘で開く。
1941 日本YMCA同盟、世界YMCA同盟より脱退を決定。
1942 宗教団体法により、YMCAは日本キリスト教団に併合される。
1945 空襲で仙台、東京、横浜、名古屋、神戸、広島、長崎、同盟などのYMCA被災。第2次世界大戦終結。元名誉主事R.L.ダーギンGHQ顧問として来日、北米YMCA同盟、世界YMCA同盟との関係修復。
1947 第2次世界大戦後初の世界YMCA同盟総会がエジンバラで開かれる。日本参加できず。米国で「世界青年復興資金」の募金開始、日本のYMCA復興に恩恵大。宗教団体法が廃止され、日本キリスト教団より独立。戦後復興3カ年計画実施。各地に学生YMCA、市YMCA復興、新設。ハイスクールYMCA運動発足。
1949 わが国初の国際ワークキャンプ実施(函館、五日市、諫早)。J.R.モット、10回目の来日。
1950 日本YMCA5カ年前進運動はじまる。日本YMCA創立70周年記念全国会員協議会、東京にて開催。
1951 世界青年復興資金の援助により、各地のYMCAキャンプ場修復拡大。全国ハイY協議会結成。戦後初のYMCA国際年長少年キャンプ野尻湖で開催。
1952 学生YMCA全国学生委員会結成。全国レイ・リーダー協議会結成。
1953 日本YMCA同盟50周年記念式典、東山荘にて開催。YMCA研究所開設。神戸YMCAがわが国初の肢体不自由児キャンプ実施。
1954 同盟協力主事D.リーパー洞爺丸で遭難。
1955 世界YMCA同盟成立100周年記念大会パリで開催、「パリ基準」を再確認。全国YMCA体育事業委員協議会開催。第1回農村青年塾、小金井にて開く。
1956 日本YMCA3カ年前進運動はじまる。
1957 第1回全国少年リーダー研修会開催。東京YMCA女性会員に会員総会構成員としての資格、常議員の選挙権および被選挙権を付与。
1959 第5回アジアYMCA指導者会議、東山荘で開催。伊勢湾台風の被災救援活動に各YMCAが協力。
1961 全国レイ・リーダー協議会解散。日本青少年教育施設拡充計画による全国共同募金開始。この結果、1967年までに、全国のYMCAに11の青少年センター建設。日韓学生YMCA正式交流はじまる。
1962 A.スタインハウス来日、フィットネス理論を紹介。体育の嫌いな子どものキャンプ実施、その後、各YMCAで体育教室はじまる。
1963 第1回日本YMCA青年成人会員研修会開催。
1964 日本YMCA英語教育刷新6カ年計画はじまる。東京にて第6回世界YMCA体育指導者協議会開催。
1965 第4回世界YMCA同盟総会、東山荘で開催。「YMCAと国際事業」(日本YMCA国際事業基本方針)決議。
1968 第1回東山荘セミナー開催。国際事業担当者会発足。
1969 学生YMCA全国学生委員会解体、夏季学校78回で終焉。日本YMCA少年事業綱領発表。「パリ基準」の再検討。ベトナム難民救済事業へスタッフ派遣。
1970 第1回全国体育リーダー研修会開催。
1971 日本YMCA体育3カ年前進運動はじまる。
1973 第6回世界YMCA同盟総会で「カンパラ原則」採択。クリスチャンアンドオープン広がる。
1975 「パリ基準」改訳。ワイズメンズクラブ国際協会第51回国際大会熱海にて開催。
1976 日本YMCA基本原則制定。日本YMCA研究所、三鷹に建設。第1回アジア・スタディツアー実施。世界青年平和会議に代表派遣。
1977 第1回日本YMCA大会開催。「日本YMCA綱領」制定。
1978 第1回平和教育コンサルテーション開催。国内協力事業3カ年計画開始。
1979 第1回世界YMCA大都市会議、東京で開催。
1980 日本YMCA100年記念大会(11.23)東京で開催。中国YMCAとの交流再開。
1981 日米YMCA二国間連絡協議会はじまる。
1984 「YMCA平和の日」(世界YM/YW合同祈祷週初日)制定。日中YMCA連絡委員会はじまる。
1985 デンマークにて第8・9回世界YMCA同盟総会が開催され、世界同盟規則改正。第1回国際ウエルネスシンポジウム開催。
1986 日韓YMCA連絡委員会はじまる。
1987 第12回アジアYMCA指導者会議、第4回アジアYMCA青年会議、東山荘にて開催。
1988 学生YMCA結成100周年記念集会、東山荘で開催。
1989 日台YMCA連絡委員会はじまる。
1991 第1回日中YMCA青年平和セミナー、南京および上海の日中YMCA青年友好ホールにて開催。湾岸戦争復興プロジェクト開始。
1992 「日本YMCA基本原則」の改訂作業はじまる。各地のYMCAで会則の見直し盛ん。
1993 世界YMCA同盟「パリ基準」の見直しをはじめる。日本YMCA同盟結成90周年記念集会、東山荘にて開催。
1994 YMCA創立150周年記念世界大会、ロンドンにて開催。西宮YMCAが全国YMCAで初めての学習障がい(LD)児クラスを開講。
1995 阪神・淡路大震災、緊急救援および復興支援事業開始。キャンプ75周年記念事業、東京・大阪で開催。
1996 日本YMCA基本原則改訂。
1997 第1回オールジャパンYMCAユーススポーツ大会、成田で開催。
1998 第1回トップリーダーシップセミナー、東山荘で開催。
1999 プログラムスクール・イン・ジャパン、神戸で開催。
2000 全国学生YMCA賛助会発足。
2002 大阪YMCAが全国YMCAで初めて単位制・通信制高校を開校。
2003 日本YMCA同盟結成100周年記念式典(10.25)を東京国際フォーラムにて開催。オリンピック記念青少年総合センターにて国際シンポジウム「グローバルイシューとチャレンジ21」(10.23-24)を開催。
2004 全国YMCA平和の旅「ピースキャラバン」実施。
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